前前回のpostはかなりヤバい内容だったが、
今日はさらに常識的ではない、politcally incorrectなことを書いてみたい。
DenmarkのNyborgという学者(彼はHanse Isenckの学徒)は、
男女双方において、性ホルモンが多ければ多いほど、
その個体発生が攻撃的、異性獲得的行動をとりやすくなり、
反面、知性や信頼などの社会的協調行動の基盤を発達させないというデータを出している。
考えてみれば、テストステロンで筋肉と攻撃性をあげれば、
女の取り合いは激しくなり、犯罪は頻発し、社会的な協調は難しくなる。
同じように、あまりにも化粧の濃い女性は潜在的な男の取り合いに時間がかかり、
自分の稼得能力を上げるというような、社会協調的な他の行動をとることに興味がなくなるだろう。
というわけで、性ホルモン濃度はある程度、経済の生産性に影響があると考えられる。
しかし、話はもっとヤヤコシイところがある。
男性ホルモンは数論理力と独善性を高めるので、
あるいは高い可能性で科学理論と、それに基づいた経済発展の原動力となるだろう。
私見では、白人の近代科学革命の実現や、
それ以降も続く科学的数学的独創性の多くは、より高いテストステロンレベルによる独善性にある。
東アジア人の大半は先生のいうことを墨守するため、歴史を通じて孔子様の教えを忠実に守りすぎて、
それに反対する学者は失脚してしまった。そのため、そもそも独創的であることができなかった。
東アジア人は、その精神性からして独創性が発揮できないのだ。
こういった違いは、これまでの(politcally correct)な経済学にはまともに取り扱われてこなかったが、
ヒトも生物である以上、どう考えても大きな重要性があるに違いない。
そうすると、一つのcorollaryが出てくる。
21世紀のうちに、東洋人は西洋人よりも「平均」知性が高いために、
より高い平均所得になるかもしれないが(実際、すでに東洋系アメリカ人は白人よりも高収入である)、
科学のような独善性を必要とする分野は西洋人の方が活躍し続けるだろうというものだ。
この命題は、現時点においてもだいぶ正しい感じがしてきているように思う。
しかしこれが誤りなのか、あるいは正しいのかの判断は、
やはり100年後の社会科学者にゆだねるしかないということなのだろう。