kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

企業による大学経営はどうよ

先週は大学のクラス会に出たついでに、
昔の教養キャンパスを歩いてみた。
モダンな建築と学際準備のダンスにあふれる場となっていて、
ちょっとばかり驚いた。
20年と超える時間とは本当に大きなものだ。


ところで、mojixさんが
「現在の大学に代わって、企業が直接に大学を運営して、
欲しい人材を育成すればいいのではないか」という
ブログを書いていたのを思い出した。
http://mojix.org/2008/08/01/company_university


小生もこれはいいアイデアだと思っているのだが、
そういった例が世界的にまったくないのはなぜかと考えると、
うーん、よくわからない、というのが小生の本音だ。


仮に企業(あるいは社会の本音)が、
大学教育の意義を選抜試験だけにあると考えているとすると、
確かに問題はないだろう。
4年または6年の理数基礎教育を経たあとに技術者にするか、
あるいは事務系などは直後に働かせてもいい。


仮に企業が教育の本当に意義があると考えているのなら、
なるほど民間企業にはできないこともあるかもしれない。
しかし、これは本当なのだろうか?


世界的に見ても、大企業や官僚のほとんどは大学卒であるため、
大学の教育効果についてはあまり疑問視しないというのも自然かもしれない。
しかし、これもある種の起業家は、その感覚の間隙をついて、
もっと効率的な教育機関ができてもおかしくはない。


ほとんどの大学教員は文部科学省の規制の多さに振り回されているが、
それが本当に意義がないのかどうかは、
「大学」が政府によって公認されている以上、確かめようがないのだ。
なにせ多くの職業、なかんずく官僚になるにはまず大学を出なければならない。


とはいえ、しかし、確かに文中の論理などの抽象的な「説得力」などは、
企業のような実利性による運営よりも、現存の大学の方が有利そうではある。
それを価値だと感じる感性が既存の大学を創り出し、
その感性が同時に「政府」の正統性を支えていることも間違いない。


「あーだ、こーだ」と議論した結果の強制力行使を正当視する民主主義政治では、
あるいは企業においてさえ、「説得」の力が重要であることを考えると、
大学における教養教育がもっとも適合的だということなのだろうか?