kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

雑感

ちょっと前の話になってしまったけれども、
最近の政治について面白かったのは、
Zopeジャンキーの日記」で紹介されていた
民主党の立ち位置


政権獲得を目指すためには
どうしても相互に矛盾した政策を集めて、
単なる人気取りになってしまうのは仕方がない。
こういった現実は古典的な政党政治の研究からも明らかだが、
果たして「官僚は少ないが、規制は多い」という政策が可能なのか?


あるいは可能かもしれないが、難しいことは間違いない。
しかし、おそらくこれは、現在の官僚たちへの不満はあるが、
別の理想的な、人格の優れた人々が官僚になればいい、
というのはある種の賢人政治の蒸し返しそのものなのだろう。



どうしてそういったものを人々は永遠に信じようとするのだろうか?


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さてちょっと話題を変えて、
小生のベキダデアルの4章に詳しく書いたが、
そこでは話を簡単にするために、
保守=右翼=権威主義的=よそ者嫌い、と単純化している。


実はここにはそれなりに説得力のある異論がある。
権威主義」authoritarianismというベクトルと
「よそ者嫌い=差別肯定的」Social Domiance Orientationというベクトルは異なったものだと考える、
Duckitt達による少数有力説があるのだ。


例えばhttp://psr.sagepub.com/cgi/content/abstract/12/3/248


Duckittによると、これら二つは重なる傾向はあるが、クラスターとして別のものだという。
そしてこの二つの主張があいまって、多様な保守政策を生み出すのだというのである。


権威主義者は、秩序を好み、わかりやすい善悪感を支持し、世界を危険なものとして認識する。
差別主義者は、社会的な性向度合いの違いのある現状を肯定し、世界を競争的なものだとして認識する。


危険な世界を見る人は、人格としては、新奇なものを嫌うかわりに、勤勉である。
差別主義者は「協調性」が低く、新奇なものをやや嫌う。



これらが違うというか、しょせんは同じなのかは小生は今のところ、判断を保留しているのだが、
また読者の皆さんも考えてみてください。



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上の二つが違うとしても、二つをあわせると
サピオや外務省のラスプーチンそのものな感じだ。
サピオという雑誌は、いつ本屋をブラブラしている際に見かけても、
まさに世界が危険に満ち満ちていて、
キサマのように平和ボケしたやつはすぐに侵略されて(ぶっ殺されて)いなくなってしまうだろう、笑
みたいな感じの記事であふれかえっている。
そういう風に世界を認識する人たちが一定数は存在しているということだ。


昔からいろんな雑誌(あるいは論文でさえ)を読んで思うのは、
本当は客観的に正しい世界認識などは存在していなくて、
人は信じたい理論、あるいは世界観を信じようとするものらしいということだ。
これは自然科学でさえキリスト教原理主義イスラム原理主義、その他の宗教に明らかだし、
いわんや社会理論にいたっては、何が本当のことなのか、信じるに足る事実なのかは、
本当にわからないということである。


サピオはあまりにひどいのだろうが、
しかし明らかに、小生が小学生の時代に読んでいたムーに比べればまだましだ。
あるいは小生のリバタリアニズムも、あるいはケインズ主義も
似た部分があるのだろうと思うと、ある種の空虚さを禁じえない sigh 。
なかなかに世の中とは難しいものだ。