kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

TRONは悪くなかったが、

小生は『リバタリアン宣言』のほとんどを2006年の2,3月に書いた。
実際に出版されたのは翌年なのだが、別に内容に変化はないので問題はなかった。
並行して『無政府…』を書き始めたのだが、それはウツの小生に生きる意味を与えてくれた。


あれから、速いもので、もう2年半にもなる。
今、娘が小生の机の横で、なにやら急に「オバケ」の話が怖くなったらしくて寝ているのは、
いつも原稿を書いていた傍らで、娘が寝ていた3年前を思い出させてくれる。


さて、その中で小生はTRONプロジェクトを
国家主義的」な無駄な支出として批判しているが、
これに対しては多くの読者からの不評を買った。
そして、ある意味でこれには本当に驚いた。


昔、大学生だったころ、坂村さんのトロンの解説書をいくつも読み、
完全にそれに同意していた。彼の論理は整然としており、説得力があった。
そしてTRONが普及しなかったのは、なるほどアメリカの横やりだと感じた。
この意味で、当時の小生は民族主義的であり、またTRONのファンであった。


しかし、91年からlinuxとopen source projectが続々と出て、
友人を通じてこれらを知ってからは、小生は完全に考えを変えた。
正直、これは人間観、社会観にもかかわるほどの大きな変化だった。
それはつまり、プログラマーの人々の共感こそが、
もっとも重要なファクターなのだということだ。
トロンは確かにオープンな企画ではあるが、小生の記憶にある限り、
坂村健氏は、当時の通産省の官僚や富士通、NECの重役に説得に行っても、
一度として一般のプログラマーコミュニティに共同開発を訴えかけたことはなかった。
このことを疑う者はいないだろう。


小生もiTRONがreal time processingに強みを持っており、
あるいは今後も生き残るかもしれないことは、当然知っていたが、
しかし、今後どういう意味でも主流になることはないと思ったのだ。
熱狂的なファンが、世界のどこにもいないからだ。
その理由がLinusと坂村さんのメンタリティ以外のどこにあるというのだろうか?


おそらく、オリンピックと同じように、同郷の人の活躍は我々を鼓舞するのだろう。
坂村さんは日本では有名なのだろうが、
linusフィンランドだけではなく、世界で有名だ。
たまたまこの島で生まれたことにどれほどの意味があるというのか?


オリンピックで日本のメダル数などを数えることよりも、
世界の一流のアスリートがどう戦うのかを見るほうがもっと意味があると思う。
小生の思想はまったく日本に特有なものではないが、
民族を超えて普遍的であることは小生の誇りでもある。