kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

Bastiatはいいよ

やる気がちょっと失せた今日この頃は
バスティアの「見えるものと見えないもの」を訳したりしている。
翻訳と著述は別の難しさもあるが、
やはり人のものを訳する方が、mental な負荷は相当に低い感がある。
とはいえ、情けない小生はフランス語がまったく読めないので、
原文は名前などについて参考にしているだけ
というありさまではあるのだが、、、苦


ボチボチとやっているので、まだ3章までしか終わってない。
あるいは今年中に最後の12章までいけるだろうか、とか思っている。
ちょっとずつupしてるので、また気が向いたら読んでみてください。


さて、1850年に記されたこれはすばらしい作品で、
何がいいって、
政治活動に伴う、あるいは政治家やエコノミストの発言する
「数万もの職が確保される」
とかいう感じの詐術的発言への否定だ。


現代的な経済学の言葉で言うなら、
それは一般均衡論的な完膚なきまでの
政府活動の経済的有用性への否定。


何かを国家が強制的に促進するということは、
別の見えない何かが失われるということでしかない。
政府というものが、どこかに実在する巨人ではない以上、
人々の資源を強制的に税という形で集めて、
それをどこかに集中させるだけでしかない。
なぜ、人々はそんなに強制力の行使が好きなのか?


ところで、驚くのは、この著作を読むと、
ケインズをはるかに100年もさかのぼった時点でも、
すでに「政府の介入は職を維持、確保する」という言説が
政治家の間ではひじょうに普通だったということだ。


政府の支出は「見えるもの」だが、
税によって納税者から奪われた潜在的であった支出は
「見えないもの」なのだ。
見えるものだけ見るのではなくて、
見えないものも思考の中に入れれば、
政府活動の非生産性が実にはっきりすると思うのです、ハイ。