kurakenyaのつれづれ日記

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大学教育は時代遅れか?

ベッカーの話には続きがある。
フロアからの質問に以下のようなものがあった。


最近American Enterprise Instituteのチャールズ・マレー
(この人はnotoriousなベルカーブの著者の一人)が
Real Educationという本(これは小生も読んでいた)を書いていて、
その中で、マレーは
すでにアメリカではあまりにも多くの大学教育に不適格な人が
大学教育を受けるようになっていると、指摘する。
そして、大学教育は時間の無駄なので、
BAやMAなどの代わりに
もっと個別分野、たとえば生物学や物理学、経済学などの
国家的なCertificationを創設するべきだと言っている。
これについてはどう思うか?


ベッカー答えて曰く、
さきほど示したように、少なくともアメリカでは80年代以降、
急速に高卒と大卒の給与プレミアムは増大している。
だから大学に来ている人が多すぎるということはない。
これはプレミアムが下がり気味である日本や韓国と
比べれば明らかだ。もっと多くの人が大学に行くべきだ。
そして、大学教育は個別のCertificateを超えた意味を持つ。


さて、私見では、
確かに、DegreeをやめてCertificateにすれば、
確かにシグナリングにおける非効率は激減するだろう。
つまり、現在のように年間100万円以上も支払う大学に入学して
教養で体育やをするような時間の無駄はいらないというだけでも、
大きな改善だ。
アメリカでの私学の授業料は年間300万円にもなるのだ。


しかし、もし大学に意義があるとするなら、
確かに大学という場所に常にたむろして、
同じような境遇の学友との交友を通じて、
得られるものであるように思う。
個別の知識を超えた大学教育の意義というのがあるかもしれない。
(確かにかなり疑わしいが、、、)


実際に、国家的な会計士や弁護士、医師というような資格の点数付きで
報告するなら、あるいは大学教育は必要ないのかもしれない。
それはやってみる価値がありそうだ。
会計士や弁護士などの資格試験を点数付きで公表して、
それで、一流の企業が採用するようになるのか、
そして、大学など無意味だと人々が考えるようになるのか、
これはやってみなければ、わからない性質のものだ。