kurakenyaのつれづれ日記

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シューカツという言葉は?

この時期になると、例年の恒例行事として、学生・就職課・担当教員の3者面談が行われる。ここで、今後の長く辛い就活が始まるというわけだ。


さて、文系学部では大学の成績評価がまったく就活に役立っていないという現実がある。


http://diamond.jp/articles/-/27491


この著者も指摘しているように、企業も勉強してきていることを望んでいない → 学生も勉強しない(授業はメールする、寝る)、バイトをメインにする→ 教員は勉強を教える気力もなくなる、という負のスパイラルが日本では確立しているわけだ。


このことは、ボクが学生だった25年前からまったく変わっていないし、少なくとも戦後一貫している。


こうした現状は理解できるとして、では、「なぜ、日本でだけ、文系大学生は勉強しなくてもいいと考えられて来たのか?」


そもそも、大学レベルでの文系学問の有用性は、弁護士・会計士になる以外には、まったく存在しない。では、アメリカやその他の国の大学では、成績評価で何を測っているのか?


おそらくは、つまらない作業への取り組みの真面目さ、あるいは論理操作、語彙、専門知識、特殊語彙の運用力、などなのだろう。これらは、日本では、大学入試までに測られている、と考えられている。だから、こうしたベースの能力は大学入試で計測し、企業は人格的な協調性などだけを面接で見ようとする、ということなのだろう。


では、このような日本でだけ通用する日本型就職(就社)システムはどこまで続くのか? これまで日本の常識を打ち破る大学は、国際教養大学だけのようだ。英語で授業を行い、学生をカンヅメにして、留年させることも厭わず、英語世界の常識を学習させる。


http://www.j-cast.com/kaisha/2012/07/26140639.html?p=all


日本企業が日本人だけで運営される限り、土着の暗黙知はなくならない。ユニクロのように日本の企業がグローバル化をすすめ、人材の多くを日本人以外から採用するようになると、これからは自然と変化していくようにも思われるが、、、、 どうなんだろうか??