kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

『理性の限界』

今日はやる気がしなかったので、
高橋昌一郎さんの『理性の限界』という新書を読んだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062879484/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1222442115&sr=8-1
これは傑作なので、私の知り合い、またはブログ読者の皆さんにもぜひオススメしたい。


小生は大学時代にホフスタッターの本を読んでから、
長い間ゲーデル不完全性定理と経済学、
あるいは社会科学全般との関係について考えてきた。
それには法律のような形式論理に近い場合もあるし、
社会科学のように、行為者と相手プレーヤーが行動を読み合う場合もある。

経済学の場合、特に経済モデルと、そのモデルを認識しつつ、
モデルの一部であるagentは独立ではない。
論理学的な意味で異なる階層にあるため、その自己言及性と
それに伴う整合性が問題となるのだ。
この点の矛盾について、小生が唯一知っているところでは、
ハイエクが、マクロ経済学のモデルビルディングへの疑問を呈しつつ、
ゲーデルの定理を援用していたと思う。


というわけで、
社会科学の極限にはゲーデル的な意味での
論理的な限界があるはずだ。
あるいは、すべての人間科学にもあるはずだろう。


さてそれはさておき、この本はアローの不可能性定理から、ナッシュ均衡
ハイゼンベルク不確定性原理から進んで相補性解釈、
エヴェレットの多世界解釈といった量子力学をめぐる哲学。
さらにはポパーから(私は信じないが)科学の宗教性を肯定するファイヤーアーベントに至る
実に多様な理性の限界がうまく提示されていて、読んでいてとてもスリリング極まりない。
久しぶりにこんなに楽くて素晴らしい知性の本に出会った。


唯一、惜しむらくは、自分がこの本を書けなかったことだ、
朝日新書を書く際にも『リバタリアン宣言』と並んで、
ゲーデルの定理と経済学』とかいうような提案したのだが、、、、あー残念、ザンネン。
いやしかし、むしろ、これはこれでよかったとするべきだろう。
いつの日か、類書を書いてみたいものだ。