集団についての特性の分析は
少なくとも局所的には明らかに「自由意志論」と矛盾する
例えば、ある集団が遺伝的に新し物好きだとすると、
全員にそれを伝えることによって、
その傾向を抑えることが(抽象的には)可能になる。
アジア人の身長はヨーロッパ人よりも1sd(7、8センチ)ほど低いが、
これも何らかの環境的、後天的な頑張りや活動で何とかなるのなら
例えば、日本人みんながそれを実践すれば、
今の日本人男性の171、2センチは
オランダ人のように180センチ以上になるかもしれない。
だが、こういった考えはどうも現実的ではないように思われる。
日本人の平均身長はここ20年ほどあまり変わっていない反面、
メタボなどのネガティブサイドは急速に増えているから、
栄養状態については、ほとんど飽和しているのだろう。
特に小生が重要だし、かつ難しく感じるのは、
知能や新奇性追及などの純粋に精神的な側面だ。
これは、がんばれば変えることもできるように感じる反面、
そうすることはたいへんな努力を要するだろうからだ。
例えば、小生がフィールズ賞を取ることはできたのだろうか?
あるいはできたとしても、並大抵の努力ではできないことは明らかだ。
それ以前に、小生はそれほど数学が好きではない!!
このような趣味の違いまで入れると、
すべてのことが、とんでもなくムズカくなってしまう。
どんなことが好きかどうかは、アスリートとしてあまりにも重要な資質だ。
アスリートだけでなく、それは知的、芸術的な資質にもあてはまるはずだ。
小生がPCでないことは、長い間自分でもl精神的にも引っかかるものがあるのだが、
にもかかわらず、小生のショボい体格と並行した形で
昔から他に論理的に納得できるものがない、ウーンンンンン!!?