kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

libetarian paternalism

シカゴ大学のリベラル学者のThaler と Sunsteinが 
以前からの多くの論文に加えて去年"Nudge"という本を書いて、
libertarian paternalism を広めようとしている。
この考えは、自由に退出可能なオプションは用意するが、
しかし、defaultとして、政府が望ましいと考えるpaternalisticな選択肢に
まず加入させるというものだ。
例えば、年金制度に加入させたり、肉を食べる前にサラダを食べさせたり、、、


確かに、退出あるいは拒否が自由であれば、
個人の行動の自由に侵害していないことにはなるのだが、
そんなことは現実には不可能なのは、フリードマンのブログ
からも明らかだ。
フリードマンは大学の諸費用に組み込まれた
自然保護団体や消費者団体のNPOへの寄付が
現実には、ほとんど全く自由に退出できない制度になっているという経験を語っている。


これは、日本人の小生にとっては、
免許更新のたびの現地の「交通安全委員会」への半強制的な寄付と同じだ。
別にそれは法律には書いてないにもかかわらず、現実にはそれは強制であり、
逃れるためには現場の人々と言い争う必要があり、相当のエネルギーや時間が必要となる。


政府のシステムというのはすべてがそうだ。
オプションだとか言いながら、
実際には相当の時間的、知的、感情的エネルギーを投下しなければ、
絶対にのがれることはできないシステムになっているのだ。
これが純粋に自由な選択とほど遠いのは間違いない。


それだけではない。
政府はどれだけのパターナリズムとそのための研究員が必要で、
さらに実際の制度がどれだけが妥当なのかを「自分で」決めることができる。
これが税金の無駄使いとしての過剰、無意味な押し付けにならなかったら、
それはたいへんな驚きだろう。


というわけで、小生はlibertarian paternalismには大反対だ。
結局、誰かにとって本当にコーチが必要でゆうようなのなら、
多くのアスリートのように自分で専属のコーチを雇っているか、
またはコミットメントとしてフィットネス関連の企業と契約しているだろう。


政府がするのであれば、結局は不必要なものの押し付けになってしまうだろう。