kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

「国益」なんてない!

電源開発の株主となったイギリス系のファンドが買い増しすると決定したとき、
日本政府の政治家はそれを国益の観点から「望ましくない」と発言していた。


しかし、僕がいつも不思議に思うのは、そもそもよく言われる「国益」とは何なのか?
という問題だ。誰の利益なのか?国とは抽象的な存在にすぎて理解しがいたが、
総じて日本人全体という意味なのだろう。
が、これはそれぞれの政治家が勝手に使っているだけのマジック・ワードだ・


誰しもが国益という用語を自分の守りたい産業がもつものだと考えている。
国益が本当にあるのか?
そしてそれは外国人資本化による利益追求とは相いれないものなのか?
無政府主義者である僕には両方とも容易には納得しがたいものなのである。


水道や電気などのいわゆる公益企業でも、
外国資本による買収で効率が上がれば、
それは結局、消費者の利便性の向上を意味しているし、
あるいは意味のない政府からの「独占許可」もなくなって、もっと望ましいだろう。


なぜ、公益企業が公営でなくてはならないのか?
おそらく、水道がフランスのビベンディに経営されれば、なにか「重要なもの」が
フランス人の手に陥落したと感じるのだろう。


しかし、そんなことをいうのなら、
アメリカでトヨタプリウスに乗る人はすでにその人生をトヨタに託しているのだ。
トヨタのクルマに不具合があれば、そのまま彼・彼女は事故死することすらある。


なぜ、こんなにも日本人は信じれるが、外国人は信じれないのだろう?
高校までの教科書には人間はみな平等だと書いてあるのに、、、、
この段にきての、ethno-centrismは本能的なものなのだろう。
実に残念なことである。