出版されてすぐ長崎総合大学の橋本佑子氏の著作
「リバタリアニズムと最小福祉国家」を読んだ。
それで、最近「経済セミナー」で北大の橋本努さんが
小生の「無政府」を評してくれたが、
一緒に橋本さんの「最小福祉国家」も評していたので、
これを機会にもう一度、読み直した。
たまたま 今書いている原稿は、狂気の無政府ではなく、
もっと常識的な最小福祉国家を想定しているので、
無政府主義者の小生にとっては、いろいろと勉強になってありがたい。
ちなみに、「最小福祉国家」とは、警察・裁判・国防の「最小国家」に加えて、
最小限の「福祉」の保障、実際には生活保護が肯定される国家をいう。
M.フリードマンもハイエクも、あるいは森村さんもこれに賛同している。
小生はこれに究極の理念としては反対なのだが、
今のところ、それほど反対するほど反感を持っているわけでもない。
第一、無政府社会に至るためには、まず福祉制度をミニマルにする過程があるはずだ。
問題は、「文化的な必要最小限の福祉」とは実際には、
一人あたりいくらなのだろうか ということだ。
あるいは、多くの社会哲学者が論じているように、
年齢や障害の程度などの境遇によって違うというのが当然なのか。
しかしそれでは、具体的な算定を担当する役人の裁量が
ほとんど恣意的になって大きくなってしまうのが気にかかる。
つまり、人間の最低限度の福祉的な生存権を認めるには、それほど反対しないが、
では実際に、「1人1年いくらになるのか」という問題はとてつもなく難しい。
理由にはいろいろ考えられるが、おそらくカロリーベースではない、
100万とかいうような、単純なアンカーポイントの方が、
結局はみなが妥協できるものなのだろう。