kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

人生の意味

Gorge Gaylord Simpsonは、20世紀最大のアメリカの古生物学者の一人である。
彼は主に新生代のウマの進化について、
また哺乳類全般についての進化を解明したことで知られている。
彼の有名な言葉の一つには、1966年のscineceに記された論文に
「1859年以前の、人間の存在の意味についての思索はすべて無意味であった」
というものがある。


つまりこれは、人間はただ単なる進化の産物であり、
個人が生きていることは単なるDNAという自己複製子の増殖の結果であって、
個人の存在には、超越的な別段の理由などないということだ。
ニヒリスティックに聞こえるかもしれないが、
自然科学者としてこれはこれでよく理解できる。


小生は、このことについて進化論を理解して驚いた中学3年以来、
はっきりと理解しているつもりなのだが、
それでも時に、そのアイデアには空虚さ、あるいは虚脱感を禁じえない。
つまり、なるほど人は通常、「自分の生きる意味」と求めているように思うのだ。
だからこそ、あるいはmajorityの人々は「生きる意味」を求めて、
宗教や占いなどを頼るのだろう。
人が「ただ単に生殖のために存在する」というのは
あまりにも悲しく、虚しいのじゃないか?


人はそれぞれの幸せを求めて、いろいろと活動する。
進化論的な予測にあるような、幸福な育児だけではないだろうことは言うまでもない。
それでも、むしろその虚しさや寂しさから結婚し、子供を育てることは多いだろう。
それこそが、われわれが内的な遺伝プログラムによって操られている、
あるいはわれわれの祖先もまた同じように感じて、その結果、
われわれが現存する理由なのだろう。


利己的な遺伝子」はドーキンスの傑作であり、
この命題をクリアに説明している。
20年ぶりに再読して、彼は大いなる理論家というよりは、
ハミルトンやトリヴァース、ウィリアムズのよき解説者であることがよく理解された。
この30年で非常識が常識になったことにも、大きな驚きを禁じ得ない。
小生もいつも、こういった30年後に読んでも陳腐化していない本を書きたいと思ってきたが、
残念なことに、自分の能力ではそれは不可能なのだろう。
不可能を追うから、無意味に脱稿に時間がかかるのだ(苦)。