kurakenyaのつれづれ日記

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機械式時計の不思議

昔の遺伝学は素朴で、
例えば、「海を愛して船乗りになる遺伝子」があるという主張まであった。
これに比べると、現在の行動遺伝学ははるかに複雑で、
ある種の傾向が発現する傾向があるという程度のものが多い。


で、いつも不思議に思うのは、
機械式時計とファッションのタイ・アップである。
また、クルマ雑誌でもライフスタイル提案型の高級なものは
すべて機械式時計を特集しているということだ。
実際、庶民派のクルマ雑誌には時計の宣伝などはまったく載っていないから、
おそらくは、ステイタスの誇示としての時計があるのだろう。
この意味で、CGやENGINEなどは、半分はライフ・スタイルマガジンだ。


それにしても、機械式時計というのは奇妙だ。
スイスやフランスの時計に多い、
トゥール・ビヨンなどの不思議なまでに精巧なギミックは
現代のクオーツ時計の足元にも及ばない精度でしかないが、
その機械的な複雑さ、精妙さゆえに今は復興期を迎えている。
ちなみに色気のない小生は時計は携帯で済ませている。


実際、パソとクルマの両方が好きという輩にはほとんど会ったことがない。
これは不思議なことだ。何か遺伝的な親和性の低さがあるに違いない。
だがしかし、これは逆に電気自動車が主流になると、
パソが好きなやつが自動車好きになるかもしれない。


クルマの雑誌の多くに機械式時計の宣伝があるのは、
エンジンのメカニカルな精巧な部分が時計と共通するからだろう。
とするなら、近いうちにTOYOTAのHybridや
MITSUBISHIの電気自動車の主流化に伴って、
自動車雑誌には時計の宣伝はなくなるかもしれない?


仮にそうであるとしても、現在のモーターは200馬力程度だが、
内燃機関は500馬力以上が高級車では当然となっている。
クルマの世界では、あと10年はエンジンはモーターには負けないだろう。


20年しても、現在の機械式時計のように
電気自動車よりもガソリン、ディーゼルエンジンがプレミアムなものであるのか、
それとも、カメラのように、完全にデジタル化してしまうのか?
これはなかなか興味深い技術史の問題だ。