kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

金で友情、愛情は買えるか

3年前に子供が幼稚園でもらってきた絵本に
『ともだちや』というのがあって、
これは、さびしがり屋のキツネが、
友達屋の営業活動をやりながら、お金をとっていると、
友達になったオオカミから
「なんだと、お前は友達から金をとるのか!!」と怒られて、
本当の友達は金銭を貰ったりしない、と悟り、
オオカミと真の友達になるという、なかなかにいいお話だ。


特にこの水色のオオカミさんの色使いがすごく斬新にきれいで、
おまけに、その外見がかっこいいので気に入っている。


「友人関係には金勘定は邪魔である、あるいはいらない」という感覚には
まったく同感するし、小生自身もそのような行動基準を採用しているが、
ではそもそも、いったいなぜそういう感覚があるのか?
あるいは進化してきたのだろうか?


これは実は、商業取引や、恋愛でも全く同じだ。
一回限りの商業取引では、明確な金銭数値が重視されるが、
永続性が前提となる繰り返しゲームでは、
むしろ、利得値の明確化は望ましいとは考えれていない。
ソープに行くのは明確な金銭が支払われるが、
愛する女性との性行為に対してお金を払うことなど、
カップルの両者ともに考えていないはずだ。
なぜか?


おそらくはゲーム戦略上の駆け引きでは、
相手への対価や評価の明確化は、
自分の次の戦略の主観的な予想を与えるという意味で
不利益になるのだろう。


どんな男でも、彼女との性行為の対価を払うことは
失礼極まりないだろうことを知っているだろう。


もう一つは一度きりの明確化された対価の支払いは
関係の永続性の前提とはあまり親和的ではないということだろうか。
つまり、多様な行為の対価の支払いそのものが、
相手との関係を将来的に持続する気がないという
シグナルになってしまうのだ。


この問題については、
おそらく、Schelling や Subikなどがすでに多くを語っているかもしれないが、
小生は不勉強でゲーム理論家のすべてを読んでいない。
誰か知っている人は教えてください。