kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

環境保護のラペル理論

現在市販されているジャケットやスーツの上着には
生地の無駄としか言いようのないラペルという部分がある。
むろんこれは様式性としてのみ機能しているのであるが、
かつてのイギリスでは折り返して胸部への風の侵入を防いだのである。


さてラペルは様式性のみ、というなら、ネクタイもそうだし、
そのほかにも多くの人間社会には様式性から生じむ大いなるムダに満ち溢れている。
いや、文化というのはそもそもすべてがムダなものなのだといえるだろう。


温暖化抑制策を実践する行為は、
行為者の人格の道徳性と常識性をしめすラペルなのだろう。
という風に考えると、奇妙なアナロジーが成立する。


ラペルはムダだがわれわれの日常に根を下ろし、
多くの人はその存在を正当のファッションとして疑問視することはない。
だがそれは本質として必要ではないことは合理的な精神には自明である。
同じように環境保護政策の実践も道徳性を示すシグナルとなっている。


いかなる動物個体であれ、同種の他個体をひきつける必要があるが、
それが物理的なコストを支払うシグナルであれば、
相当奇妙なものまで進化してしまう。


あるいはクジャクの羽根も、オナガドリの尻尾も、アズマヤドリのあずま屋も、
ヒトの環境保護活動も同じであるというのは興味深い。