kurakenyaのつれづれ日記

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ポイントシステム再論

僕の敬愛する友人から「ポイント制度」についての、「お前の考えがはっきりしないので、もっと説明しろ」というご意見をいただいたので、今日はもう少し僕の感じるポイントシステムへの感想を書いてみましょう。


巷間 大流行のポイント制度ですが、その目的は顧客の囲い込みにあることは周知の事実です。客にポイントカードを作らせることで、その客をリピーターにするという戦略です。

ちょっと考えてみると、このような制度をあるドラッグチェーンが最初に行う場合、ポイントカードを持っている顧客は安く買えるという得をして、企業は割引の分は損をしても、より売り上げを伸ばすことで最終的には得をして、ポイントカードを作らない顧客が損をしていると思われます。

ここでは、ドラッグストアでの購入の予算が一定だとしてみましょう。最後に、ほかのチェーンもポイントを導入して、ほとんどの人がどこかのポイント制度を利用するようになると、割引の分だけ企業からポイントカード顧客に金が移転しますが、おそらくほとんどの人がポイントカードを利用する均衡状態では、もともとの販売価格とポイント割引後の価格は、ほとんど変わらないものになるはずです。そして、ポイントカードを持たない顧客は、割引のない、ポイントカードのなかった世界よりも高い価格で買うことになるでしょう。

というわけで、こういったポイントカードによる価格差別戦略は、ポイントカードを持たないものを不利にするだけのように思われます。とするなら、ポイントをあまり利用しない僕はただのバカで、損をしているだけなのでしょう。

しかし、ポイントカードを利用するためには、チェーン側の情報処理コスト、作業時の人件費、その他がかかります。利用者側でも、記憶のコスト、財布に入れて持ち歩くコスト、などなどが生じます。ということで、均衡状態では、皆が損をしているように僕には思われるというわけです。


ちょうど、コンサートでみんなが立ち上がって見るため、僕のような小さくて、立つのが面倒くさい男は良く見えない、という不利益を被り、しかし皆も、より良く見れるようにもなっていないのに、立っているために足が疲れるという不利益。

というわけで、個体行動としては合理的でも、全体としては合理的、あるいは最適にならないのは、進化論を見れば明らかです。女の化粧、男の無意味な競い合い、などなど、多くの個人の活動は、それ自体は個体合理的ですが、集団としてはマイナスサムであり、例えて言うならオナガドリの長すぎる尾羽根なのです。



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ここで終わるのが、常識的なゲーム理論家というものなのでしょうが、GWなので(??)おまけの一文を、僕が間違っている可能性を指摘して、終わることにします。

コンサートでみんなが立ってみることには疲労感が伴うのですが、それこそが実は一体感を与えてコンサートの意義を高めてくれているのかもしれません。同じように、僕にはちょっと信じがたいことですが、「ポイント制度はドラッグストアでの買い物の満足感を高めている。だから、ポイント制度があるのが自然で、かつ全体としての厚生も高い」というのが真実なのかもしれません。

ポイント還元は、小さなご褒美であり、ちょうど商品の美しいパッケージと同じように、若干価格が高くなったとしても、それがあった方がないよりも買い物が楽しくなる!

うーん、まさに人間心理の不思議、あるいは行動経済学でもそういった実験ができそうです。