エリク・ポズナーの『法と社会規範』を読んでみた。
つまりスペンスのシグナリング・モデルを使って、社会規範の分析をするというものだ。
宗教や人種差別などについては、納得できるが、
なんでもかんでもシグナリングというのはどうだろうか、やや疑問が残る。
一つは心理的な選好の理論を否定する点である。
仮にシグナリングが多くの人間行動を説明できるとしても、
その過程では、心理的な要因が介在しているはずで、
とすれば、効用関数に組み込んでも同じことではないのだろうか。
例えば、ヒキガエルの鳴き声は低いほうが体が大きく、コストがかかるという点では
典型的なシグナリングだが、これは人間のファッションにもあてはまる。
究極的な進化的要因と至近の心理的な要因は説明が同じであるからヤヤコシイのである。
しかし、面白かったのは、むしろシェリングの提出した、
政治家についての「私は妥協しない真摯な人間です」というよくある発言に対する解釈だ。
政治家は必ずそういった究極の命題を述べるが、
それはシグナリングとしては、それ以外の発言のすべてが信頼性を疑わせるからだ
というものである。
こういった発言は、政治家にとってのfocal point戦略になっているというのである。
なるほど、それは商品広告や恋愛にも当てはまるのは納得できる。
ポズナーが考えるように、これはジレンマであり、どうしようもないのだろう。
しかし、だとしたら、この点はポトラッチと同じような、
あるいはお歳暮と同じような
シグナリングによる非効率が生じていることになる。
ポズナーはここで政府の有用性の可能性を肯定するが、
政府がなくても、それなりの対策は人間社会で創発すると思うが、、、