kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

「熱い」人格とは??

今日は、久しぶりに高校時代からの友人に会うことになった。彼は、僕が出会った中でもっとも「熱い」、たとえるなら松岡修造タイプの男だ。まあ、高校時代に出会ったからこその友人だが、成人してから出会ったら皮肉屋の僕と熱い彼の間にはおそらく交友がなかっただろう。


性格と世界観というのは不思議なものだ。おととい たまたま橘玲さんの「残酷な世界・・・」を読んだので、関連して感想を書いてみたい。


http://www.amazon.co.jp/dp/4344018850/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1293353702&sr=1-1


この「残酷な世界」の内容をまとめると、「人にはそれぞれの持って生まれた限界もあるので、あまりに大きな野望を持ったドン・キホーテになるよりも、ある小さな分野での成功を目指して生きるのが現実的だろう」というほどになるだろうか。


直接的には、勝間和代さんの「なせば成る、だから成さねばならぬ、何事も」みたいな世界観を、人格改造セミナーや、能力開発本と一緒に、バサバサっと、自然科学の知見も踏まえて、否定しているというような感じか。


冷めた目で見ると、人間を作り出している個々の遺伝子は、我々の一人ひとりに限界を与えているのは確かだろう。ヒトがイヌやチンプになれないように、個々の個人の性格や知性にも遺伝的なシバリは存在するのはまちがいない。


これは、行動遺伝学をみれば、性格の分散の50%程度が遺伝によって説明されることによる。さらに残りの50%も親のつくりだす家庭環境とは関係がないようだ。(子宮内環境が有力視されているが、僕としてはほとんどが胎児期の環境、特に人生初期の感染症、さらに発生のランダム・ウォークではないかと思っている。)

僕は総じて、橘さんの世界観や価値観に個人的には同意している。


しかし、熱く生きる、というのも、ほとんどの人にとっては重要なことだとは理解している。そういう人生のほうが、より有意義である(ような感覚、あるいは主観的な価値感)のは、よくわかるからだ。

おそらく、人の性格とは行動戦略なのであって、熱く生きるほうが、人から信頼され、実存的な意味での人生を有意義に送れるのだろう。政治家の発言の必然性と、世間からの信頼の発生については、エリック・ポズナーが書いている。


http://www.amazon.co.jp /dp/4833223317/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1293351171&sr=8-1


反対に、仮説・検証という冷めたタイプは、それなりに客観的で冷静な状況評価ができることから生じる、何らかの利得を得ているのだろう。こういった風に、性格というものをヒトの行動戦略だと考える進化心理学は、ダニエル・ネトルによる「パーソナリティを科学する」

http://www.amazon.co.jp/dp/4826990456/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1293353784&sr=1-1


でも主張されている。あるいはネトルが示唆しているように、熱い性格や直情的な行動にはドーパミン・レセプターやトランスポーターに関係している可能性は高そうだ。


自己啓発本を読みあさることに僕も懐疑的だが、そうやって生きる人達の人生はあるいは僕のものよりも真摯な部分があるのだろう。人間の社会は多様で、信じる世界観もそれぞれに異なっている。人それぞれが、結局は自分にあった人生の送り方を選んでいるように思われる。