kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

中毒のバカ話

こんにちは。

 

昨日のポストには、さらにくだらない余談がある。最初はスマホ中毒対策の、大きな長財布サイズのtime locking walletを買った。それは良いが、1週間もしないうちに、依存が激しくなって、ジリジリした気分でうろうろと部屋を歩いて、ぐるぐると頭を回していると、

 

「はっ、もしかして、この厚手のプラスチックをつきぬけて、このままSuica使えるんじゃね?」

 

と(薬物中毒だから、「必死で」考えているうちに)思いついた。早速、夜中の2時すぎに近所のピーコックで実験してみると、なんと使えた!! → 元の木阿弥の9%チューハイ3本!! バカの極みオジサン

 

ということで、また数週間の連続的依存生活に一気に戻ってしまった(ハア~~)。

 

ダメなやつぅ~~、まったく情けない。

 

さて何日かして、あるときシラフのときにツラツラと、あるいはボケッーと考えていると、

 

「だったら、もっと大きくて動かせないホントの金庫にすれ良いんじゃね?」

 

と考えて、さらにアマゾンを探してポチった。

ついにMini Safe, あるいはMicro Vaultというほどのものを使うようになって、1週間、断酒し続けている。

 

夜はつらいが、昼は元気に生きている。問題は、昼間のうちに食料品を買って、その後の夕方から次の午前中まで、何も買えないことだ。まあ、生鮮食料品以外の買い物はオンラインで十分んなので、別に問題はそんなにないけど。

 

ということで、バカな僕は多くの金を薬物中毒に費やしてしまっているという笑い話で、、、 みなさんも一人で飲む酒はやめましょう、マジで依存症になるよ。酒はあくまで人と楽しく付き合うときのために、とっておきましょう。

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自分をセイレーンから拘束するには

こんにちは。

 

もしかしたら気づいている人がいるかも知れないが、1週間ほど断酒している。断酒すると、やたらと起きている時間が(相対的に)長くなる。日中にできることが多くなるというわけで、そうした時間があると、ただ単に最低限の決まった買い物をして、最小の料理をしてそれを食べ、できるだけ長い間寝るよりも、わずかながら大きな時間が残る。やる気も戻るので、こうやって何かを書いたりしているというわけだ。

 

ということで、本を読んでみたり、Netflixを見てみたり、小さな移動旅行をしてみたり、駄文を書いたりというのは、エネルギーがあって昼間の時間が長いシラフ(断酒)が望ましい。そんなことはわかっていたけど、ただアルコールのせいで実践できなかっただけだ。それでついに自分自身の手足を縛るしかないと決意した。

 

 

 

 

これを買ってから、昼間のスタバでの仕事+リラックスのタイムが終わって夕方家に帰ると、すぐに携帯とカード、現金を16時間隔離して、ファスティングに入るというスタイルだ。まあ、自分の力で久里浜アルコール依存センターにいるのと同じ状況を作り出しているといえるかもしれない。

 

みなさんも、もしアルコール依存に悩んでいたら、まともな昼の一瞬に買い物のすべてをして、残りはすぐに財布全部をimprisonしてみてください。もし久里浜その他の病院に入るにしても、そこから出たら、結局はなんとか一人で断酒するつらさを克服するしかない。

 

それなら、今すぐ自分で財布を隔離して、我慢する時間を長くしよう。きっとできるはずだ。

 

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終身雇用制度の害悪

こんにちは。

 

先日、大学時代からの友人と会って、食事をした。で、彼が最近書いたということでもらったのが、この本。

 

 

もちろん、いろんなことが書いてあるけど、ここでは彼が僕との会話で発言した、もっとも重要な部分を一つだけ。

 

「日本のIT業界が腐って競争力を失ってしまったのは、終身雇用という制度のせいだ」というもの。

 

なぜか?

 

日本ではかなり大きな会社でも社内にシステム構築などを手掛けるIT部門がないことがほとんどだ。で、富士通NECなどのSierに外注する。この関係性は所詮は外部なので、出来上がったシステムそのものは、とんでもなく非効率的で競争力がない。

 

では、なぜ内部にIT部門がないのかといえば、システムというのは設計、構築といった立ち上げるときには大量の人材が必要だが、それが終わると人があまり要らないメンテモードに入るが、この人員変動を終身雇用の前提では支えられない。結果的に、Sierに外注するというのが最適解になるが、それはアメリカ企業のようなアジャイル・効率的な開発がまったく不可能だということになる。

 

これは多くの企業だけではなくて、すべての政府部門にも当てはまる。役人にはIT人材がいないため、国税庁e-taxを見ればわかるように、ゴミのようなシステムを使い続ける、あるいは恐ろしくゆっくりと改善していくことになる。

 

ということで、最適な経済システムは、終身雇用ではなくて、「プロジェクトごとにエンジニアを集める」というアメリカ形である、というか、結果的に現代はそうなってしまっている、ということだ。こうした雇用の不安定さを補うためには、プロジェクトごとにエンジニアに1億以上支払うような柔軟な報酬設定が不可欠であり、それはまさに日本的な年功序列、終身雇用では不可能なことなのだ。

 

「日本人には、そういうことができない」というのはウソだ。だってプロ野球選手やJリーガーはたしかにそういう雇用形態になっているのだから。問題は、そうした意識が社会の常識になっていないこと、だから「学歴」などというゴミのようなものが、重視されてしまうである。

 

というわけで、僕たちの会話は一致することになったが、こうした話は、彼とは大学時代からし続けてきた。あれから35年以上が経ったが、日本は変わらないままゆっくりと衰亡している。なんとかしたいのだが、、、

 

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「包括適応度」革命

こんにちは。

 

昨日と同じ流れで、たまたま図書館で見つけた岸由二さんの「回顧録」を読んでみた。本人が書いているように、70-80年代の「包括適応度」革命について、主にその次代に書いたエッセイを集めたもの。

 

 

当時の僕は大学でまったく違う畑にいて、ハミルトンの包括適応度の革命を完全に「すごいもの」だと考えて、人間にも応用したいというウィルソン的な野望を持った。まさか、その次代の老人たちが、ルイセンコ学説、今西学説などを信じたいために、岸由二さんに嫌がらせまでしているとはまったく想像もしなかった。 悪しきかな、日本の学会。

 

ところでやや驚いたのは、岸由二さんは慶応大学の「経済学部」の教授であったこと。当然進化生態学者は生物学者なので、「理学部生物学科」にいるものだと思っていた。彼はまったく社会科学について言及しているのを読んだことはなかったし、一般向けの(進化生態学の)本も書いていなかったから、僕のような学会に属していない学生にとっての彼は「翻訳者」なのだったのだ。

 

当然ながら、今の若者にはなんの意味もないが、共産主義イデオロギー、あるいは英米思想への反感というのは、当時の学者の目を曇らせていたということなのだ。今の僕は新古典派の経済学のどれだけかは「思い込み」によって構成されていると思っているが、そういった時代的な背景からの世界観への影響というのは無視できないものなのだろう。

 

生物学は革命を終えたように思うが、他にも学問領域は無限にある。そこでも中世ヨーロッパの神学、あるいは江戸時代の儒学のように、その次代の主流の思想から逃れるのはほとんど無理なのかもしれない、、、うーん、そうだとしたら残念なことだ。

 

ともあれ、80年代から岸由二さんの以下の翻訳本からは多くを学ばせてもらった。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

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『適応と自然選択』

こんにちは。

 

久しぶりに図書館を歩いていたら進化論の現代の古典を見つけたので、借りて読んでみた。『適応と自然選択』はG.C.ウィリアムズの有名な本だが、実際に読んだことはなくて、自分の理解では、「集団選択はない」というテーゼを展開した記念碑的著作だと記憶してきた。

 

 

で、いま読んでみると、たしかに「集団選択(群選択)を仮定する必要はない」とは書いてあるが、記憶にあったように、「集団選択はない」とは書いてない。むしろ「それはあるだろうが、ほとんどの場合血縁選択の延長で考えれば良いことで、現実的な集団行動の説明としてありそうもない」ということだった。

 

そうだったのか、やはり偉大な学者の言うことは、その厳密な論理に重要な部分があるものだ。

 

僕は早い時期に、こうしたテーマ、つまり遺伝子が淘汰の単位だということを徹底的に広めたことで有名な、ドーキンスの『利己的遺伝子』を読んだ。それ以来、2000年代まで集団選択をかなり懐疑していた。それからダラダラ生きてきたが、今ではD・S・ウィルソンなんかの影響も受けて、それなりに生物界全般にあるんじゃないかと考え直している。特にヒトでは、疑いなく集団レベルの選択圧がかかってきただろう。

 

ともあれ「種のため」という超抽象的なレベルではありえないが、とある集団がある程度協力して、競合する別の集団と競合する。そうした状況が長期間続く結果、集団のレベルからだけ理解できる行動が進化する状況というのは、それなりに考えられる。

 

人間の場合は、生活史における集団間の戦いが特に顕著なので、今更ここで書く必要もない。だが、そうした集団間の争いこそが、我々の道徳観、つまりは利他主義や友情などの、人間的な感情を生み出したことは、今でも驚き続けている。

 

逆に言えば、集団間の戦争がない時代がこれから何万年も続けば、少年ジャンプ的な価値観(とそれを支えていた遺伝的な神経回路)はすべて雲散霧消することになるということ。。。

 

平和な暮らしは素晴らしいものだが、その代償として失うものはかなり大きいようにも思う。

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不動産からピアノ、中国の高度成長の終わり

こんにちは。

 

中国で不動産が暴落してから、今年からはピアノの売上も激減しているんだと。

 

 

という記事を読むと、日本でもバブル崩壊の90年から激減したんだろうと予想してみた。

 

 

なるほど、81年にピアノの生産台数は最大化しているが、その80年代はエレクトリック楽器が急速に普及して、90年からその販売台数も現象している。実にわかりやすい。

 

さて、ピアノ販売というのはつまりは「豊かさ」の象徴で、庶民の幻想による地位財なのだろう。ということで、今後の中国は、日本のバブル崩壊後の停滞時代と同じ規模の停滞時代が来ると予想される。技術や社会は成熟していくが、急速に高齢化し、活力が下がっていく時代だ。

 

中国の場合は、もう出生率が1.2を切っているので、おそらく日本よりも急速にしぼむだろう。果たして、これから独裁政権は維持可能なのか? さらに台湾への侵攻はどうなるのか? 余談を許さない。

 

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マジンガーZに夢中だった

こんにちは。

 

書店を歩いていると、『昭和40年男』という雑誌があって、表紙にマジンガーZが載っていた事があったと思う。幼かった僕がドハマリのアニメ。

 


www.youtube.com

 

たしか夏のことだったと思う。週末に福井だったかまで家族旅行に行っのだが、どうしても日曜の夕方7時までに帰りたかった。7時に帰ってマジンガーZを見たかったから。ジリジリしながら帰って、死ぬほど急いでテレビのスイッチをつけた。しかし、ちょうど話が終わっていて、マジンガーZがヴィーナスAと一緒に戦いを振り返っているところという場面だった。クゥッッソォォォォ――――!!!

 

僕は大泣きして、激怒して何度も父親をなじった(と思う)。最後に父は逆切れて、僕を頬に平手打ちしたので、さらにしばらく泣いていた記憶がある。今、考えてみると7歳の時、1973年の夏だったんだろう。

 

さて、時は流れて2010年にアメリカにいたとき、若いアメリカ人男性から「おまえは何を見て育ったんだ?」とアニメに話題を振られた。ガンダムの話もしたが、本当は違うんだよ。と言ったら、「マジンカイザーか?」と聞かれてマジで驚いた。昔の作品まで知ってるなんて、信じられないアニメオタクだった。(とはいえ、マジンカイザーはずっと後の続編アニメだけどね。)

 

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という程度のエピソードなんだが、まさに僕と同じ世代の大人向けの「超合金Z」という金属製のロボット・フィギュアが売っていることを発見した。それが7万円とやたらと高いのを見て、当然に自分の世代のアラカンというところを狙っていることが良くわかった。

 

 

こういうのを買う人がいるから、商品が企画・製造・宣伝されているのだ。マジンガーZ超合金フィギュアを買おうと思う人が心からうらやましい。自分はそういう「少年の心」のような部分がものすごく弱く、小さくなってしまった。。。

 

さて誰にでもあるはずの「あの時代、あの感動をもう一度」というのは、ノスタルジックで実に結構なことだ。しかし、それは自分の金でやらなければならない。鉄道マニアは金を儲けて自分の庭で走らせるか、それが無理ならジオラマやるか、あるいはディズニーランドに行ってノスタルジーを楽しんでくください。現在の若者から奪った税金でやろうとしてはいけない。

 

いくぞ、マジンガーZ、パイルダーオン!

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