kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

昼と夜

こんにちは。

 

どの作品も有名なエッシャーだが、その中に「昼と夜」というのがある。

 

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大学時代にエッシャーを知ってから、いろんな意味でインスパイアされてきたが、今日はこの絵に関して一つ。

 

新古典派(や、もっと極端にはオーストリアン)は、世界や経済は基本的にうまく機能している(昼)と認識する。例外的にうまい行っていないところもある(夜)が、その辺は適当に手当するもよし(例えば大規模な公害)、あるいは政府がしようとする政策の多くは失敗するので、むしろ放任したほうが良い(例えば独占政策)。

 

ケインズ主義は、市場経済はうまく行っていないと認識しているから、基本的には政府の指導が何事についても必要だと主張する。極端なのはマルキストで、市場経済は諸悪の根源で、すべてが失敗していると考えている。

 

どっちが多いか、あるいは地と呼ぶべきものなのか? という認識がまったく違うのだ。どちらも不可算無限なので互角と考える御仁もいるかも知れないが(いないだろうな)、それにしてもルベーグ積分すれば、面積比はでるんじゃないか(笑)。もちろん、でるはずがない。(測度=価値もおそらく異なるようだから:合笑)。

 

で、さらに今日はこれに似た興味深い本を見つけた。ダーウィニズムは一般に適応バンザイ論なのだが、それが性選択にどの程度当てはまるのか? については、かなり論争がある。クジャクの羽はどう説明するのか? 

 

ダーウィン自身は、特に性選択という概念を、自然選択とは独立して定義した。しかし、ウォレスを始め、多くの学者は「性選択で選ばれる特性は、実は自然選択にも有利なのだ」というシグナル仮設(これにはハンディキャップも適当に含む)と主張してきた。

 

さらに細かく言えばいろいろな数理モデルなんかがあるんだが、ここではパス。

 

美の進化ー性選択は人間と動物をどう変えたか

 

著者プラムはイェール大学の鳥類学者。この本では「鳥の求愛、美しさは、性選択が自然選択とは独自の美的な価値を持っている」という、ダーウィン自身の説がいかに説得的なのかを論じている。少なくとも僕は、鳥類の美しさや求愛行動の性選択(独自価値)説に納得した。生物の形態や行動の進化のあり方の一般論としては、適応バンザイなのだが、時にはそうじゃないときもあるということ。

 

ひるがえって、市場は効率的ではないし、明らかなバブルも常に起こっている。それでも、全体としてはうまく機能して来た。それ以上に重要なのは、政府は良いことよりも悪いことを行っていることが多いこと。これは適応と、それ以外の偶然要因のようなものだ。図と地、昼と夜、どっちが正しいのか? 

 

もちろん50年前のソヴィエトとアメリカ、北朝鮮と韓国、東西ドイツを比べる程度のことしかできないが、それらは歴史の特殊例でしかないという人は納得しないようだ。信仰の力は強い。

 

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Tsutaya図書館のほうが良い

たまたま 今ブログ記事をアップした。前の記事に松瀬さんがTsutaya武雄の話をしてくれたので、それを読んで昔友人と話していたことを思い出した。(松瀬さん、ありがとう。)

 

ボクは昔から「図書館はインテリのもの → 商業主義は敵」という話に納得できなかった。つまりは「カフェも併設されているようなところで、金も時間もある人はゆっくりコーヒー片手に、美しい空間で本を読むのもいいだろう。金がないならないで、別に本だけ借りても良い」という発想だ。

 

ところが、なぜだかTsutaya(CCC)のような民間のビデオ屋ごときが図書館を運営するということには、胡散臭さと商業主義の悪臭が漂っているという御仁が多い。武雄市の図書館をTsutayaが運営することに対しては、左翼の方々から難癖としか言いようのない批判があった。

 

https://www.huffingtonpost.jp/2015/09/10/takeoshi-ccc_n_8117678.html

 

なんだろう、この金をもっている人を侮蔑するような姿勢。 

 

もちろん金はあっても良い(それは自分か、その祖先が有益なサービスを人々に提供したことを示唆する)し、あるいはないならないで、それでも幸福に生きることは当然に可能であり問題ない。不愉快なのは、図書館がむしろ貧者のための施設でなくてはならないというような考えだ。

 

ある時、懇意の友人が「昔の図書館には、地域史を扱うような本が我々を睥睨していてこちらも感心したものだが、今の図書館に行っても、『ベストセラーは読みたいが、金は払いたくない』というやつらのために、ベストセラー本が複数用意されているのが見苦しいね」と言っていた。実に、まったく!

 

図書館に行かない人、あるいは図書館の本は面白くないという人を、できるだけ惹きつけなければ、彼らからの税金で運営されている公営図書館の意味はないはずだ。公共図書館に納得しない人・必要としない人は、月額1万円で六本木ヒルズの会員制図書館=カフェ・自習スペースに行けば良い(庶民のみんな、そういうものが存在するのを知ってましたか?)。なんで、公営図書館はもっといろんな試みをしないのか? 

 

明らかに、この国の常識とマインドセット、前例踏襲主義が我々の生活を貧困化している! 図書館ビジネスを誰がもっとも効率的に運営できるのか? 誰がもっとも公益に合致する精度を作れるのか? よくよく考えてもらいたい。

 

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島嶼の生物進化

こんにちは。

 

ますます読んでみましたよ、川上さんの本。これも島嶼での生物進化の状況について説明してあって、とても楽しめる。海洋性の島嶼は、生物が漂着することが稀なので、エコシステムという概念がよく理解できるのだ。ビーグル号に乗ってガラパゴスを訪問したダーウィンもそうだが、確かエドワード・ウィルソンも島嶼の生物相について書いていたのを思い出した。

 

そもそも島に進化あり (生物ミステリー)

 

火山島にいろんな外来種をもちこまないために、やたらと努力をする様子は、たしか母と一緒に過ごすためにいつかのNHKの特番でも見たことがある。まさか、調査隊に著者が加わっていたとはオドロキだ。ということで、全体としてとても共感できる好著なので、ぜひともオススメしたい。

 

とはいえ、このサイトにはそれなりの(?)宿命がある。リバタリアンという視点からは一言だけ、どうしても譲れないことがある。それは「生物の多様性が大事だ」という根本的なテーゼ自体が意味不明だということ。さしたる合理的な理由もないし、常識的な人間主義にも反している。つまりは「高貴なる野蛮人」と同じような原始的自然崇拝なんじゃないの? 

 

おまけに日本の生物相を守れということは、つまりは外来種を全部殲滅せよ、ということ。なんで、そんな無意味(な税金の投入)をするのか? 北米原産のミドリガメが日本古来酒のイシガメよりも優れているなら、それはそれで日本で繁殖すれば良いじゃないか? なんで、ミドリガメを全部殺す必要があるの? 

 

カメの虐殺はともかく、タイワンザル(というマカク=ニホンザルの亜種)が日本でニホンザルと交雑したら、その子孫を和歌山県で皆殺しにするなんて、ナチスそのものだろ!! どうしてナチスを否定する人間が、同時に外来種を根こそぎにする必要があるのか。まったくナゾ!! なんかのおかしな思想に洗脳でもされてるんじゃないのか?

 

まあ、これは現在のすべての生物学者にとっては、経済学者にとってのケインズ主義的と同じような常識なんだろう。揚げ足取りはしたくないもんだ。。。

 

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蔦屋書店

こんにちは。

 

東京の蔦屋書店は、食事もカフェもあって、とても良いところ。本を読みながらコーヒーを飲めるなんて、贅沢な時間の過ごし方だ。

 

と思っていたら、ある時 広島に行く機会が2度ほどあって、広島駅にも蔦屋書店を発見して、日中をダラダラと過ごした。で、一昨年は名古屋のららぽーとにも出現。30分ほどかけて、ときどき来て読書したりネット見たり、仕事したりしている。

 

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名古屋の蔦屋書店

 

京都、奈良、枚方、函館なんかにもあるから、完全に全国に広がっている。スタバ自体も好きでいつも過ごしているが、オープンスペースにたくさんの本と一緒なら、ますますカフェダマシイに刺さる! たまらん!

 

無理に欠点をあげるなら、書店の本はヴィジュアルなものがほとんどで学術系がほとんどないこと。それは当然なので、良いんですがね。

 

ということで、街の本屋は消えつつあるけど、こういうのが増えるというのなら、それはそれで時代の流れなのだろう。

 

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Blood Diamond

「池袋ウェスト」の話をしていたら、そういえば似たような感覚を映画に感じていたことを思い出した。確か、以前に「ブラッド・ダイヤモンド」の感想を書いたんじゃなかったか? 

 

ブラッド・ダイヤモンド [DVD]

 

この映画について自分が2013年に書いているということは、それ以前に見ていたということになる。このディカプリオが演じている南アフリカ白人の元傭兵のストーリーは良かった!! それで一昨年だったかに、アマゾンプライムでもう一度見た。

 

世界に絶望している傭兵くずれが、結局は友人を守るために犠牲になるというような話。暴力と殺戮が当然の世界で、しかし仲間を守ることになるという人間性の発露。

 

こういう自己犠牲や友情はしかし、集団間で常に戦争をしていなければ進化したはずがない。こういうメンタルに感動することそのもの(特に男のほうが強いだろう)が、逆説的に集団間の淘汰の圧力が人類史においてとても強かったことを証明しているのだ。

 

オレはお前を守る、死んだら息子を頼む、vice versa! という、実に人間的で感動的なメンタルは集団感の殺し合いからしか生まれないなんて、、、

これが現実世界の皮肉じゃなくて、何なのか??

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池袋ウェストゲートパーク

こんにちは。

 

何を隠そう、隠したこともないが、ボクは「池袋ウエストゲートパーク」シリーズの愛読者だ。あるいは読んだことのある人は納得してくれると思うが、文章のスピード感やジョーク、世界観全体が楽しい。いかにもオトコの世界で暴力が溢れているのに、全体に妙に人に優しい感じ。現実がそんなにきれいなものではないことはわかっているつもりなんだが、、

 

少年計数機 池袋ウエストゲートパーク2

 

(ちなみにアニメにもなってるが、あれは良くなかった。原作の疾走感、軽さ、皮肉、現実非現実感の同居などのクールさが、常識的で凡庸な絵によるアニメ化で、ほとんどすべて失われてしまっている。なお、実写は見てないので、今度見たら報告します。)

 

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小説そのものの良さに加えて、実際のところ、自分が本当に西北池袋に住んでいたというのがある。大学に入った時、おばが石神井公園に住んでいたこともあって、1984年に北池袋の安めのワンルーム・マンションに住むことになったのだ。

 

そういえば初めての一人暮らしだったので、電話がまだ通じていなかった(当然ケータイもない)最初の数日は、それまでの人生で一番の「うーん、寂しいわー、こりゃ」といった感じを味わった。

 

池袋に住んでいると言っても、駅まで徒歩15分の池袋本町というところ。途中の通路があまり民度が高くないのは、小説の通り。でも18歳の少年には、都会の猥雑さも喧騒もそんなもんなんだ、と慣れるだけのことだった。

 

驚いたのは、むしろ朝の山手線の混雑。通学は池袋・渋谷間で、ここは山手線で一番混んでいると思うが、特に朝は東上線西武線からJRに乗り換えるために、ホームから改札口まで続く、とんでもない長さの、おまけに幅広い列ができていた。押し屋もいるし、クソ田舎からやってきた少年でも「東京って、とんでもないとこだな」と思った。(まあ、すぐに一限目の授業に眠くて行けなくなったので、関係なくなったんだが、、、 → 不真面目系の学生にありがち。)

 

ということで、主人公マコトの果物屋はさておき、小説の舞台、東西池袋駅、パルコと東武西武、サンシャインシティはよく知っている(ように感じる)。実際には、池袋西口公園には用事もないので、ほとんど行かなかったが、、、

 

楽しい小説なので、気が向いたらみなさんも読んでみてください m(_ _)m 

 

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恐竜はなぜデカい?

こんにちは。

 

今日はYoutubeから、Animal Planetの恐竜の動画をススメられたので、いくつか楽しんだ。

 


www.youtube.com

 

さて恐竜は30トンにもなるやたらとでかい草食野郎や、あるいはT-REXみたいに5トンから8トンにもなる肉食のやつもいた。これって、ゾウとか、あるいはトラよりも桁違いに大きい。だいたいのところ、10倍くらいの体重差がある。

 

滑空飛行をしていた翼竜にしても、対応する現代の生物種であるコンドルよりもはるかに大きい。(とはいえ、シロナガスクジラは首長竜よりもかなり大きいのだが、、、、、)

 

でも、なんでだろう?

 

すぐに思いつくのはCope’s ruleというやつ。これは「生物種は、だんだんと経時的にでかくなる」という簡単なもの。彼はダーウェン進化を理解していなかったので、定方向進化を考えていたのだが、、、それでもダーウィン説からも、つまりは大きい個体が有利になるので、集団は巨大化し、小さな個体に適したニッチェは別の種によって占められるようになるというふうに解釈することができる。

 

恐竜は1億5千万年繁栄したが、哺乳類はまだ6500万年。だから半分にも届いていない。とすれば、これからも、まだまだ大きな哺乳類が出てくるとも考えられる。

 

(だが、実際にはこれは起きないだろう。だって地上のすべてを人類が制圧したからには、巨大動物が進化するための広大な草原や森林、砂漠などは農地になってしまって残っていないんだから。)

 

さて、もう一つの理由は、中生代のほうが新生代よりも平均気温が5度ほど高かったために、より多くの植物が繁茂して、それを食べる草食動物(肉食動物)も巨大化できたというもの。多分、こっちの方がありそうなのかと思う。

 

他にも、最大の動物の大きさを養うべき大陸の大きさが、現在は小さいという説もある。当時は大陸がつながって超大陸になっていたので、より大きな動物が出現したとも考えられる。

 

うーん、どうなんだろう? いつか恐竜と理論生物学の専門家に聞いてみたい。

 

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