kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

QV quadratic voting

こんにちは。

 

先日 紹介した「ラディカル・マーケット」のまた別の章では、投票権を一人一票から改めて、特定の問題などへの傾斜配分を許すべきだと主張されている。Quadratic Voting(QV)とは、例えば持ち点が10点であるなら、その9点分を投票すれば1点分の3倍、4点分を投票すれば2倍の重みがつくというものだ。

 

(ちなみに僕の感覚では、この命名はかなり変な気がする。英語ではQuadratic functionと聞けば2次関数をイメージするので、3点を投票すると9倍の重みがつくような響きがある。しかし、おそらくSquare root votingなんかよりも響きが良いと著者たちが思ったんだろう。

 

 

本書の例をあげれば、日本で銃規制を望まない個人が少数でも、大きな重み付け投票を入れるなら、銃規制は撤廃される可能性がある。少数者が多数者よりもはるかに大きな関心を持っていることには、単純な多数決原理が当てはまらなくなる。

 

もちろん日本での銃規制の撤廃なんてのはもっとも起こりそうもないことだが、例えば尊厳自殺・安楽死を認める権利なんてのは、今は多数決原理で禁止されているが、QVでは認められそうでもある。反対する多数者は実は当事者ではない場合がほとんど、なんとなく反対している反面、賛成している人間はよっぽど真剣に望んでいるだろうからだ。

 

 

ところで、この投票分の重み付けがルートされるべき理由はなんだろうか? その基礎には、市場原理を修正するために1単位を変更した場合には、その死荷重が2乗倍で発生するという厚生経済学の分析がある。(市場で実現されなくなる厚生量は、面積なので、引き上げた単位の2乗に比例するというわけだ。)ということで、市場に政治的な変更をもたらす程度は、各自が投票によって失う持ち点をルートしたものであるべきだという論理になる。

 

 

ここは納得するとしよう。さて、投票制度に持ち点を導入するのはどうか? 

 

 

そもそも一人一票という普通選挙制度には、観念的な平等性はあるが、深い論理的あるいは哲学的な理由はない。単純多数決は、多分思想的な流れで確立してきた政治的な実践なのだろうから。

 

リバタリアンは、市場への政治的な介入を好まないので、こうした変更にも反対するのかもしれない。ボク的には試して見る勝ちはあるのかなと感じる。そもそも普通選挙制度にしても、その成立過程でイギリスでもフランスでも、ほとんどのエリートは衆愚政治になるだろうと反対してきた。それでも、普通選挙は機能してきたし、制限選挙制度をとる国よりも悪い政治状況であるようにも見えない。

 

普通選挙制度がうまく機能していないという認識は多くの人間がもっている。誰か賢者による独裁に行くのもありかもしれないが、まずは、投票券を持ち点にしてみるというのもありのように思う。

 

アジア人は近代社会制度に、まったく何の貢献もしてきていない。啓蒙の政治思想にしても、民主主義や選挙の実践にしても、良いものを実験したりもたらしたりしていない。フランス革命は良いものも大量にもたらしたが、ワケのわからないもの・残酷な状況ももたらした。日本の閉塞感は今ハンパないわけだから、一回ぐらいはなにか試してみてもよいのではないのか?? 

 

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2010年代

こんにちは。

 

長年使っていたKabu.comという会社がau Kabu.comになったらしくて、やたらと頻繁に変な広告を打ってくる。三菱UFJの子会社だった頃は、銀行といった感じで、それほど投資セミナーなんかの連絡をしてこなかったから、急激に変化したということか。

 

考えてみると、ここ10年で自分のなかで変化したことといえば、スマホを常に必ず持つようになったこと。

 

例えば、いろんな時に いろいろと調べ物をしたくなると、スマホがあればすぐに検索できるが、なければできない(当然)。2009年までは、携帯電話を忘れることはよくあったが、別に「まあ いいや」といった感じだった。が、現在はLINEで家族の連絡が不可欠になったし、仕事のメールもgmailで即座に読めるので、スマホを忘れたときの「切り離された感」がハンパない。これでは、若い人間が異存になるのも当然だ。

 

 

なんだろう、結局、何を忘れてもいいけど、スマホは絶対に肌見放さず持っているということ。とすると、スマホ中心にすべてのサービスが再編されるのは当然なのだろう。なになにPAYしかり、銀行しかり、資産運用しかり、すべてがスマホとキャリアによって系列化されそうだ。

 

 

いつも持ち歩いているデバイスというのは、ある種の「引力」を持っている。それがいろいろなサービスや企業の再編につながっているということなのだろう。

 

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資産課税

こんにちは。

 

税金を取るには、所得というフローにかけるものと、資産というストックにかけるものが考えられる。この時代に入って、資産格差がとんでもなく大きくなってきたために、所得ではなくて、資産に課税するという発想が高まってきたのだろう。

 

エリック・ポズナーは有名なリチャード判事の息子。市場を活用した法と経済学の発想で、いくつかの提案をする。

 

 

この本にはたくさんのアイデアが紹介されているが、今日は最初のものだけを紹介する。

 

「資産の価値を自己申告させて、それに見合った税額を納税してもらう。資産の価値は公開されて、その金額に対しては、誰もが公開入札によってその所有権を得ることができる。」

 

という制度。資産を保持するいう権利がそもそも公共的なものであり、それには納税の義務が伴うという発想をとるなら、これは非常に合理的だ。さすがVickreyがかなりオススメしていただけのことはある。

 

 

なおこの考えは、D・フリードマンもかなり議論している。なんでも公益的な義務を課された、裕福なアテネの市民に対して適用されていたという。

 

 

 

さて、多分 土地と建物という不動産、あとは株式などの整理された証券はこの制度と相性が良いと思うが、金やコインなどはあまり反りが合わない。まあ前者が圧倒的に重要だから、別に良いというだろう。ちなみに、この本の提案には家宝なんかについて書いているから、どうやらもっと細々とした動産もリスト化して、課税するというようなことを考えているらしい。

 

多分、こういう制度は不可能ではないだろう。フローである所得に課税するよりも、豊かな生活をしているというストック的な実態への課税としては効率的だし、合理的な部分がある。国防・警察なんかでの課税がやむを得ない以上は、一考に値するのは間違いない。さすがはポズナー判事の息子!

 

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ダイレクトメールは資源のムダ

こんにちは。

 

日本の銀行がダメダメだって話はよく書かれています。

 

www.sbbit.jp

 

実感レベルでもバカらしいことが多々あります。三菱UGJを使っているボクのところには、よくカードローン優待プログラムのダイレクトメールが送られてきます、なんでだろ??

 

明らかにボクという人間の出納を25年以上も知り尽くしているのに、こいつがカードローンを借りそうなのか? という分析もできないのだろうか? フシギすぎる!

 

これまでの履歴を参照しなさすぎ。もっと効果的なマーケティングについて、アマゾンを見習ってもらいたいなあ。ダイレクトメールの印刷と、その郵便配達だって資源の浪費なんだからさ。

 

 

コロナウイルス深刻なのか??

こんにちは。

 

なんか新しいコロナウイルスが中国でとかの話題が多いようだが、どうもボクのような疑い深い人間は、こうした話題がマスコミのバカ騒ぎなんじゃないか? と思ってしまう。

 

中国人が1000人死んだとしても、そもそも中国ではこの2ヶ月で少なくとも200万人は(自然に)死んでいるのだから、その割合は0.1%にもならない。1日に100人死亡するというのは、せいぜいが0.03%ぐらいだよ??

 

もっと重要なことに、アメリカではインフルエンザで、すでに10倍以上の12000人も死んでいるというのに、アメリカの話は警戒情報も含めて、ほとんど無視されているのはなぜ??

 

www.traicy.com

 

結局、背景にはアメリカは先進国で衛生状態なども良いが、中国はコウモリ食べたり、汚かったり、ヤバいんじゃないか、という潜在意識があるんだろう。とにかく騒ぎ過ぎだよ、マスコミは。クルーズしていた人もいい迷惑だ。

 

間違いなく、こうした話は国家の多様な介入を正当化するし、少なくともそうした印象を生み出すだろう。そっちのほうが、気になってしまう。

 

 

 

近所のスタバ ナウ

学期の合間は、特に時間があるので、スタバにいることが多い。というか、実感レベルでは、もう自分の部屋といった感じだ。比較的に近い距離には3つの店があるが、今日は一番近い郊外一軒家の店にやってきて、本を読んだり、メールを書いたり、ウェブを見たりしてダラけている。

 

 

店内の40人ほどの客は、スマホを使ったり、PCでメールを書いたり、プレゼン資料のようなものを作っている人、話し合ったり一緒に勉強している人たちなどなど。休日とは違って平日の昼間なので、家族連れや中高生がいなくて、比較的に空いている。

 

 

中高生の勉強といえば、ボクの時代の感覚では、スタバで勉強なんて金もかかるし、効率も上がらないように感じる。単なる無駄遣いのように思うのだが、、、まあ、そうしたことが気にならない裕福な家庭環境にあるということなのだろう。

 

 

時々見かける60代後半のおじさんは、スマホを横にして(多分なにかの)イヤフォンをつけて連続ドラマを見ている。家で見れば良さそうだが、外で見るのも気分が違って、また楽しいのだろう。そういう老後もありということか? あるいは近所のスーパーのカートを集めるバイトをするか? さて どうなるでしょう

 

 

 

 

 

 

 

鬼滅の刃 見てみました

こんにちは。

 

ついに2019年度の授業もすべて終わって、ちょっとした時間ができました。で、書店を歩いていたら第19巻が発売されて、なんでも今大人気だという「鬼滅の刃」。ということで、アマゾンにやってきたアニメの「鬼滅の刃」を見てみました。

 

 

 


鬼滅の刃 1話 / Demon Slayer / Kimetsu no Yaiba Episode 1 English Subbed

 

とても面白い作品でした。日本の漫画・アニメの伝統を正しくうけついでいるというところでしょうか。人食ったり、グロいところはグールや進撃の巨人のようでもあるが、主人公の成長はナルトやワンピース的な気がしました。剣を振り回すところはるろうに剣心のようでもあり、大正ロマンもビジュアルも「羅生門」というか、水墨画というか、センスが良いです。まあ、妹を助けるためというのが、ややシスコン的で奇妙ではしょうか、、、

 

ジャンプの作品は、いつの時代でも輝いて、少年たちを想像の世界にいざなってくれるのが楽しいです。問題は、こっちが歳を取りすぎて「想像する」力が下がってしまったことなのかな、ハハハ。 みなさんも、ちょっと時間があったら、ぜひとも御覧下さい。