kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

自分の最期を選ぶ

そういえば去年だったかに、西部邁さんが自殺している。

 

www.asahi.com

 

1984年だから、もう35年も前になるが、教養学部で彼の経済学入門の授業をとった。彼は当然ながら、すでに経済学にまったく興味がなくて、限界革命のジェボンズの名前をど忘れしていた。最前列に座っていた学生に、ワルラスメンガーに続いて、「ジェボンズですよ」と教えられていたのを思い出す。

 

彼は保守主義者だと言われているが、別に保守と呼ぶほどの一貫・整合した思想があったようにも見えない。そうした一貫性や客観性をまったく目指してはいなかった。むしろアンチ民主主義というか、衆愚政治への唾棄というほどの感覚でものを書いていたと理解している。だって、どれを読んでも論理が明快じゃなかったもの 笑

 

それにしても自分の最後を自分で決めるなんてのは、本当に勇気があるし、潔い。2人の知人(精神的な弟子だろう)に幇助をさせたところを除いては、ボクも見習いたいものだ。

 

 

経済発展論の無意味

こんにちは。

 

友人たちがくれた論文がこれ。

 

https://www.mdpi.com/2624-8611/1/1/34

 

内容をめちゃくちゃ簡単にまとめれば、「アメリカの1万人弱の黒人と白人の被験者の、遺伝子を全読みした。各個人のヨーロッパ由来、アフリカ由来の遺伝子量、またコンピュータテストで測定された知能と比べてみた。結果、黒人と白人の知能差(およど1標準偏差)は、ヨーロッパ由来、アフリカ由来の遺伝子量、また知能や教育を決定する遺伝子によって説明された」ということになる。

 

これまでの行動遺伝学でよく報告されていることだが、親の社会経済的地位(SES)は知能遺伝子に比べれば影響を与えていないし、肌の色にいたってはまったく影響がない。

 

さて人間の平等を仮定して、あれやこれやの環境の影響で行動結果が異なるモデルを作るのは経済学者のオハコだが、そうした説明はすべて無意味なのだ。つまり経済発展論は、あれこれと議論をして来たが、南北問題に代表されるようなもっとも重要な問題に関しては、完全に意味のない議論をしてきたわけだ。

 

そうした問題に関して 唯一意味があった科学的な研究はこれ。

 

IQ and Global Inequality

IQ and Global Inequality

 

 

 

経済活動を支えるのは人間の知性であって、それは一人あたりGDPの50%ほどを説明する。残りは、社会主義の過去(ロシアや北朝鮮は貧しい)や、資源の賦存量(クエートやサウジ、ノルウェーはやたらと豊か)など。とすると、経済学が(潜在的に)貢献できる部分は制度的な選択事項である、「社会主義の過去」という部分だけ。

 

(これが非常に小さい部分であることは疑いないが、まあ北朝鮮vs韓国、東ドイツvs西ドイツ、中国vs香港 などを見れば、まあまあ大きな部分であることには代わりはない。)

 

 

さて政治活動の周辺としての経済学が存在することは明らかなので、学会の公式見解が変化することはありえない。しかし、このサイトを読む人にとっては、こうした不都合すぎる事実をどう扱うのか? という疑問は残るだろう。そのうちYoutubeでダラダラと発信しようかと思っているので、誰か良い妥協案を教えてもらいたい。

全裸監督

こんにちは。

 

Youtubeを見ていると、やたらと宣伝されているのが『全裸監督』by Netflix

jp.ign.com

 

ボクのような80年代男の場合、大学時代にはまちがいなく、村西とおると黒木かおりについては共通の話題になっていた。友人がAVを結構見ていて、「この監督は自分で男優も兼ねて撮影もしているんだよ、スゲーよ」と言っていたので、よく覚えているのだ。

 

黒木香さんは確かにフシギなキャラで、当時の文化人とも対談を良くしていた。ワキ毛を出してから、上品に語る女性というのは、「性の抑圧」の解放といえばそうも言えるが、というよりは、そういった政治的首長のパロディといった感じだったと記憶している。

 

それにしても、こうした重要な日本文化のリバイバルをネットフリックスがしているのがスゴイ! 尊敬する! このペースで行くと、ネットフリックスの影響力は日本のテレビ局なんて追い越しそう。いや、もう追い越したように思う。うーん、近いうちにボクもsubscribeするような気がする。

 

似た話だが、Amazon Prime入っているので、ヒマに任せて『Bachelor 1, 2』見てみた。まあ、女性にとっては面白いんだろうな、こういった「完璧な男の取り合い」というテーマは。

 

 

1回目のバチェラーはイケメンであることは当然、東大卒、ATカーニーのコンサルからIT起業家になり、すでに17億の資産を持っているという人。2回目もニューヨークからの帰国子女、慶応卒、Cyber Agentの取締役。デートもヘリを使ったり、ヴィラを借り切ったりと、常識を超えて豪華なのが見ていて楽しい。なるほど女性が喜びそうな設定すぎて笑える。

 

 

ボクがよく見るテニスのゲーム(ナダルグランドスラム19回目か?)とか、F1のレースみたいに楽しいんだろう、きっと。近く引退するまでにWOWOWとスカパーには入る必要があるな、ハハハ 

 

進化心理学からすれば、女性と男性では面白いと思うものが、そもそも全く異なるということ。当たり前だが、じつに興味深い。

 

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認知能力の低下

こんにちは。

 

このサイトでは、できるだけ楽しい抽象的な議論をしたいのですが、母の介護でイライラしているので、ちょっと実存的なグチを書きます。

 

MCI(軽度認知症)の親の世話をしていると、知的に退行するということが、一体どういった状態になることなのかが、良くわかるのが辛いものです。

 

世界全般のことには興味がなくなって行く反面、新聞やテレビにあふれかえる健康食品・器具の宣伝。つい、それを聞いて、読んで説得されて注文するが、商品が着くまでには興味を失ってしまう。自分の注文が無意味であったことはわかるが、代金は支払うということの繰り返し。

 

ということで、世田谷食品、キューサイショップジャパン、その他さらに質の悪い20くらいの会社へ電話をして、母の申し込んだ月間の継続支払いを解約する日々。ところが、息子が何日か家を空けると、また何かを注文しているといういたちごっこ、、、、はあ~~ 疲れるよ。

 

先日は、「女性だけの30分フィットネス」のカーブスを一度だけお試しする際に、継続契約を申し込んでしまっていた! 本人は契約を理解できないし、その記憶もないが、すでに5万円が引き落とされていることが判明。それで解約するために、アッチャコッチャ走り回りました。これは通販全体に言えるのですが、最初のマキエのお試しでも、必ず継続契約をさせるようなやり方には腹が立ってきます(← 完全に逆恨み 苦)。

 

余談ですが、信用金庫では高齢者の振り込め詐欺を防ぐために、カード振込自体ができなくしたとのこと。それによって、支払いその他にあれこれとまた面倒な手続きが必要になってしまいました。

 

結局のところ、知的に衰えるというのは、情報処理能力、判断能力、記憶力も減退して、その金銭もいいようにむしり取られるということにならざるを得ません。(民法では成年後見制度などもあります。しかし現実的には、よほどの高額取引でもなければ、逐一の契約行為を取り消したり、あるいは無効だとか言って回るのも、ほとんど非効率の極みです。)

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さてここで、もう少し意味のある思索を展開してみましょう。老化によるMCIは、知的能力の全般的な低下の極端なものです。普通の成人でも知的な能力は正規分布しているので、知的に恵まれていない人たち(例えば第1分位)の生活は、とても大きな困難を伴うことがわかります。

 

そもそも稼得所得が低いだろうし、さらには貯蓄をするにも、消費を差し控える意志力が必要です。もちろん、銀行での貯蓄を超えて、各種の投資活動をするためにはかなりの知性が必要でしょう。

 

うーん、こうした現実を考えるなら、自然と左翼的なパターナリズムに傾きたくなるというものです。

 

しかし高齢者の健康食品詐欺を防ぐということを、通常人へのパターナリズムに置き換えてみましょう。それはつまり、パチンコを禁止して、各種の性風俗産業を禁止して、あれを禁止して、これを禁止して、、、、 20世紀の社会主義国家 = 何の文化も発展もない、官僚主義の支配する1984になってしまいます。

 

では どこに着地点があるのか?? 

 

さらなる悲劇は、どんどんと人類の知能の格差は開く一方だという事実です。遠くない未来には、今の証券会社の自主規制のように、さまざまな契約能力・行為能力に制限が課されて、法的な平等でさえも維持できなくなるのかもしれません。

 

 

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機械式ムーブメント

こんにちは。

 

なぜか機械時計が好きで、数十万円以上を支払うことに納得する人がいるのか? 

 

昔から考えていることなのですが、この理由はどうにもはっきりしません。機械時計の魅力を説明している人は多いのですが、あんまり説得的ではないように思われます。夏休みでヒマなので、ここでちょっと考えてみましょう。

 

  • 精度ではないことは明白。防水その他の機能でもありません。するとデザインの美しさか? これも別に外見については、今となってはどんな加工もクオーツでも可能です。
  • 時計好きがムーブメントの話を必ずするからには、ゼンマイという「物理物」のエネルギーが駆動力であるということが魅力なのに違いありません。ガンギ車、テンプ、アンクルなんかが集合した小さな精密なメカの持つ雰囲気がたまらないわけです。
  • でも、クオーツだって「物理物である水晶発振器」に電気を流していることは同じです。しかし、おそらく「電気」を使うというのがダメなのだろうと思います。電気はどこか0,1、デジタル的な感じがするのです。クオーツの精度では、トゥールビヨンのようなメカニカルな補正はいらなくなります。(実際には、高精度クオーツもいろんな補正をしているますが。)
  • 同じように、半導体を使えばプログラマブルにもなるので、Lange & Sohneのパーペチュアル・カレンダーような精密機械の必要がなくなるのもかえって面白くありません。
  • 同じことは、一定の時刻を音で教えてくれるミニッツ・リピーターのような複雑機構にも言えます。デジタルのアラームはプログラムなので、面白くない。

 

ということで、電気を使わずに物理的な機械式の精密メカが動いているという感覚に惹かれるのでしょう。

 

ところで、セイコーの高級ムーブメントにスプリング・ドライブというのがあります。これはゼンマイの力での動きをクオーツで補正することで、日差1秒という精度を実現したものです。でもなんで?? それなら全部クオーツにすればいいんじゃないの?? 

 

www.grand-seiko.com

 

海外の時計サイトでも、「スプリング・ドライブは傑作!」みたいな取り扱いを受けています。おそらくこれは、コンピュータAIの力を借りて、人間がパワーアップするという感じで受け入れられているようです。クオーツは完全なロボットという感じなのでしょう。

 

とツラツラと考えてみると、やはり世界の時計産業は宝飾産業になっていると位置づけられます。今後のwearable deviceとしての多様な発展はやっぱりapple watchがリードするのでしょう。来週のApple eventに期待することにしましょうか。

 

 

追伸 さらに考えてみると、精密メカニズムが、なぜ電子プログラムよりも「好ましい」のかについては依然としてナゾです。電子回路が非人間的だと言ったって、実は大脳のニューロンは0,1のデジタルで情報を伝えてるし、各種の単純な知識なんかも物理物というよりは神経回路による「プログラム」と考えたほうが、現実と整合的です。

 

まあ こういった「感覚」というのは美と同じで、合理性ではうまく説明できないものなのかもしれません。

確証バイアスは存在するが

こんにちは。

 

韓国が嫌いな人は、今回の日韓問題で、ますます韓国人に呆れ果てていることでしょう。「やっぱり、韓国人とは仲良くやっていくことのできない人々なのだ」みたいな。これに関連して、ちょっと今 思い出したことがあるので、書いてみます。

 

 

行動心理学で確立した人間心理として、「確証バイアス」というものがあります。ある意見を持っている人(たとえば「反原発」)がいる場合、その個人に原発肯定、否定半分半分の意見を読ませたあとに、もう一度意見を聞きます。すると。自分に都合の良い(この場合は原発否定)の部分だけを読み込んで、ますます自分の意見を強固に持つ様になるという現象です。

 

これは間違いなく、毎日の実感と一致しています。誰でも 毎日のニュースを聞いて、自分の考えがますます正しいことを確信しながら生きるものだと思います。ボクの場合は、例えば政府活動の非効率性なんかになりますね。

 

さて、この確証バイアスがあることは間違いないとしても、なぜそうした心理現象があるのか? という理由は、簡単な説明がないように思われます。一見して、自分の意見とは別に「客観的な状況」というのは存在しているし、それを受け止めたほうが、今後の判断に対しても(少なくとも客観的には)有利になるような気がします。

 

あるいは自分の意見に確信を持つことで、他人への影響力などが上がって有利になるのかもしれませんが、この点についての仮設や実験は読んだことがないと記憶しています。

 

また『Fast and Slow』あたりを気が向いたら読み直してみます。

 

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ありえないよ、野口センセイ

続き。

 

野口悠紀雄センセイは、ベストセラー「超整理法」で有名ですが、ボク的には暗号通貨の先見性を早くから予見していたということのほうが圧倒的に素晴らしい。ところが、最近の記事で、2046年には中国は日本よりも豊かになると書いているのには、正直オドロキました。

 

gendai.ismedia.jp

 

どうやら野口先生は、プライバシーがないことが、中国の経済覇権につながると思っていらっしゃる。

 

gendai.ismedia.jp

 

こういうのは、確かにAI、フィンテックだけ見れば、そのとおりのように思われます。でもそれは短絡的。技術のトレンドは常に変化しているし、これからも同じように破壊的な技術が生まれてくるに違いないからです。フィンテックもAIも2020年代バズワードが良いところで、どうせ次の30年代にはまったく違った話になるんです。

 

 

もちろん27年も経てば、日本の生活水準に追いついている可能性はあるでしょう。それにしても、過去の経済成長率の単純な引き伸ばしというのは、ありえない!! 

 

バカバカしいよ、そんなこと。 結局、日本の一人あたりGDPは1990年にヨーロッパ諸国(アメリカ・イギリス・ドイツ・北欧諸国)にほとんど同じでしたが、今となっては60%にまで低下しています。過去30年の生産性が、日本では1%、ヨーロッパ諸国では2%成長したからです。長期的には、生産性の向上が、国の豊かさを決定することは疑いない。

 

中国のような情報統制型の独裁社会が、果たしてヨーロッパ型の自由な社会よりも高速でイノベーションを実現することなんてあるのか? どうなの??

 

ボクのここでのtentativeな結論は、それは絶対に無理だというもの。日本のパターンと同じで、中国も追いつくには追いつく可能性があるが、新しいシステムは出てきそうもない。真似することは作り出すよりもずっと容易だろうが、そもそも何もないところからアイデアを生み出すには、多様な試みを許すような社会基盤が必要です。次のグーグルが、中国の管理社会から生まれるはずがないんじゃないか? 

 

ところで、中国の企業で、1つとして日本人がスゴイと思うことを成し遂げている企業があるでしょうか?

 

 

(さてしかし、もしも仮に中国がその13億の大きな人口と、高い知能(彼らのIQはヨーロッパ人よりも1/3 SD高い)によって、ヨーロッパ人の社会を超える生産性を実現したとしましょう。そのときには、自由な社会の価値を疑う必然性が生じます。自由と豊かさにトレードオフがあるなら、そのことについて真剣に考えねばならない。)

 

全体として、人間の創造性というものの性質から、自由と豊かさは平行的な関係にあるはずです。もちろん、こうしたconjectureは証明できないのですが。

 

 

残念だが、2046年にはボクは生きていないでしょう。でも、もしマトモな精神を持って生きていたなら、このconjectureが正しいかどうかを、この目で確かめることにします。

 

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