続き。
野口悠紀雄センセイは、ベストセラー「超整理法」で有名ですが、ボク的には暗号通貨の先見性を早くから予見していたということのほうが圧倒的に素晴らしい。ところが、最近の記事で、2046年には中国は日本よりも豊かになると書いているのには、正直オドロキました。
どうやら野口先生は、プライバシーがないことが、中国の経済覇権につながると思っていらっしゃる。
こういうのは、確かにAI、フィンテックだけ見れば、そのとおりのように思われます。でもそれは短絡的。技術のトレンドは常に変化しているし、これからも同じように破壊的な技術が生まれてくるに違いないからです。フィンテックもAIも2020年代のバズワードが良いところで、どうせ次の30年代にはまったく違った話になるんです。
もちろん27年も経てば、日本の生活水準に追いついている可能性はあるでしょう。それにしても、過去の経済成長率の単純な引き伸ばしというのは、ありえない!!
バカバカしいよ、そんなこと。 結局、日本の一人あたりGDPは1990年にヨーロッパ諸国(アメリカ・イギリス・ドイツ・北欧諸国)にほとんど同じでしたが、今となっては60%にまで低下しています。過去30年の生産性が、日本では1%、ヨーロッパ諸国では2%成長したからです。長期的には、生産性の向上が、国の豊かさを決定することは疑いない。
中国のような情報統制型の独裁社会が、果たしてヨーロッパ型の自由な社会よりも高速でイノベーションを実現することなんてあるのか? どうなの??
ボクのここでのtentativeな結論は、それは絶対に無理だというもの。日本のパターンと同じで、中国も追いつくには追いつく可能性があるが、新しいシステムは出てきそうもない。真似することは作り出すよりもずっと容易だろうが、そもそも何もないところからアイデアを生み出すには、多様な試みを許すような社会基盤が必要です。次のグーグルが、中国の管理社会から生まれるはずがないんじゃないか?
ところで、中国の企業で、1つとして日本人がスゴイと思うことを成し遂げている企業があるでしょうか?
(さてしかし、もしも仮に中国がその13億の大きな人口と、高い知能(彼らのIQはヨーロッパ人よりも1/3 SD高い)によって、ヨーロッパ人の社会を超える生産性を実現したとしましょう。そのときには、自由な社会の価値を疑う必然性が生じます。自由と豊かさにトレードオフがあるなら、そのことについて真剣に考えねばならない。)
全体として、人間の創造性というものの性質から、自由と豊かさは平行的な関係にあるはずです。もちろん、こうしたconjectureは証明できないのですが。
残念だが、2046年にはボクは生きていないでしょう。でも、もしマトモな精神を持って生きていたなら、このconjectureが正しいかどうかを、この目で確かめることにします。
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