こんにちは。
日本の貨幣の歴史についてまとまったものを読んだことがなかったので、今日は図書館で見かけた安国良一さんの著作である『日本近世貨幣史の研究』という本を読んでみた。
まずは従来からの、日本の貨幣史の常識では、「江戸時代までの貨幣として中国の銅貨や、各地に独自のものが使われたが、幕府による1636年の寛永通宝の発行によって日本の通貨の統一と中華帝国からの独立が達成された」という共有された認識がある。
ということで、これに対して何かの常識を付加したり、あるいはどこかを否定するのが歴史学者としての意義となるだろう。そこで著者の安国さんも。「確かに金銀銅の三貨制は存在したが、金銀は朝鮮・琉球への贈答や将軍への香典などの身分的・儀式的な要素が強く、銅貨(銅銭の銭貨)が支配的に使われていた」というようなテーゼを展開している。
これは、確かにそういう側面があったのに違いない。
現代人であり、ほとんど「身分」やしきたりを気にしないタイプの自分でも、一般的に香典その他の慣習には従っている。また。そうした行為や活動がある種の合理性をこえた属性を持っていることも、よく理解している。
先日、遠くに嫁入りしたおばの義母母がなくなったので、一家を代表して「現金書留」で香典を送った。別段にその金銭そのものが重要なのではない。しかし、それでも現物の紙幣を送るというしきたり、、、なんという不合理。
まあ、それはともかく、要するに外国貨幣を使うということそのものが「国家の主権・統治力にかかわっている」という政治的な認識は今も根強くある。だからこそ、ほとんどすべての主権国家が独自の通貨という面倒くさいものを維持しているのだ。
単なる合理主義者であれば、むしろ世界的な統一通貨を求めるだろう。それはアメリカが恣意的に発行しているドルではないし、おそらくは国連のような政治組織によるものでもない。
とすると、それはやはり金のような直感に訴えかけるものか、あるいはビットコインしかないように思われるのだが、、、まあ、人はみなそれぞれにさまざまな思惑を持ち続けるので、これからもすべての通貨が中途半端に併存し続けるのだろう。
_