kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

貨幣は自生的秩序だと思います

今 たまたまラヴィさんという人が、昔のボクの投稿にコメントをくれていることを見つけたので、それについて2点ほど思ったことを 少し。別にラヴィさんを批判したいということはまったく意図していません、念のため。

 

 

  • ラヴィさんは「リベラル」であると自称している。

 

これについては、ボクも心情的には、「他のことが同じなら」リベラル的な部分がかなり大きいと思います。

 

しかし、究極のリベラリストは能力や貢献にかかわらず分配の平等を求める。多くの理論家は能力や貢献の度合いなんて、偶然に過ぎないとかいう考えに基づいた議論をしますね。反面、保守主義者の多くは、結果の不平等を肯定する。それは我々が見て「明らかに」能力の差は存在するし、スポーツと同じようにビジネスでも達成・貢献の度合いは、すくなくとも経済的な成功と相関していると考えるからです。

 

これが極端な人は、いわゆるビジネス本のファンになって、ベゾスばんざーいみたいな感じになる。あるいは誰でも良いけど、金持ち=有能、みたいな拝金主義。ボクが嫌いなのは、ホリエモンの程度の貢献しかしなかった金持ちを教主とするようなバカらしい拝金主義者たち。

 

さて、この世界観のスペクトラムの両極端、どっちが皆さんのそれに近いんでしょうか?

 

 

  • 貨幣と所有権は国家由来のものなので、そこを差し引いた部分での契約を尊重するという命題

 

貨幣はそれほど国家とは関係がない。国家がなくても貨幣は交換手段として存在したし、金銀、あるいは暗号通貨は国家の暴力装置がなくても、これからも存続するので、あまりボクは納得できません。

 

ただ、歴史的には国家が発生すれば、権力者はシニォレージを得ようとするため、通貨発行と通用の強制をするようになるという話。

 

所有権も間違いなく、どの哺乳類、チンプにもあるので、それほど国家には依存しるはずがない。ただ国家の観念が進化的な1時点で発生すれば、それは暴力を正当化するようになる。結果として、それ以後は「国家に正当化されない所有権は存在しない」という命題が成り立ってしまうのです。

 

 

さてさて、ボクはあまり細かい政治的な論争は好きではないので、テキトウに言い放ちますが、ボクのサイトを読むようなインテリはおそらくすべからく、リベラルであり、保守でもあるといえるでしょう。結局、政府はムダな利益政策をやりすぎており、ベーシックインカムのように本当に重要なことはやろうとしてもいない。それが問題であることには、全員が一致していると思います。