kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

全裸監督

こんにちは。

 

このところ、帰国してからまたNetflixを見ている。見つけたのは、2019年、2021年の作品「全裸監督」。

 

これもよく宣伝されていたので、その時にも見たいとは思ったが、当時はサブスクリプトしていなかった。で、今回再発見してみてみた。実は単なる映画だと思っていたら、全8話のドラマだったので、まる一日以上の時間がかかってしまった。

 

 

内容は、80年代にビニ本裏本によって性的な写真が行き渡るようになった、さらにビデオが普及していく時代、バブルを経て、衛星放送でのアダルトビデオ配信にいたるまで、村西とおるという怪人物がいかに活動したのか、というもの。虚実をまぜたドラマになっていた。というか、大まかな時代背景に合わせた、作り話的だという方が正しいだろう。

 

これはまさに自分が中高生から大学生だった時期なので、それにしても当時の時代の空気感を感じられて感慨深かった。特に興味深かったことを、いくつか書いてみよう。

 

1.1980年あたりのビニ本裏本などは、それなりに「表現の自由」と関係していたという事実。スウェーデンなどの諸外国ではポルノにはすでにボカシなどはなくなっていたが、日本では「チャタレイ夫人の恋人」事件などに見られるような、時代錯誤の性表現の禁止が行われていた。いまとなっては、10台の少年たちが完全に無修正の(外国サーバー経由の)ポルノに簡単にアクセスできるので、ほとんど隔世の感があり、むしろ牧歌的な感覚さえある。。。

 

2.「村西とおる」という怪人物の、「口からでまかせ」的な存在と、その無軌道な人間性と野望、成功と失敗が特殊なものだったこと。80年代という日本にもっとも勢いのあった時代と、彼に独特の「性の開放」的な勘違いと野望があいまって、タレントしての彼を生み出したことが、ひじょうにうまく描写されている。おそらく「性の開放」にはそれなりに意味があったのかもしれないが、決して大産業になるようなものではなくて、どこか人間の本性としての秘匿性・不道徳性があるということを無視したことに、彼の成功と失敗の両方があった。

 

3.彼をとりまく女性の感情もよく描かれていた。彼のような狂気のスターには必ずそれに惹かれる女性がいる。いろいろな宗教の教祖そのものだ。それは失敗がほとんどだが、大成功することがあるというウルトラリスキーな男の(持って生まれた遺伝子配列・頻度的な)生き方だ。

 

4.当時の僕には衛星放送のアダルトチャンネルというもものニーズがあるようには思えなかったし、今も思っていない。ネットのような秘匿的・個人的な通信ではニーズが大いにあると思うが、それは「放送」というやり方には合わない。なぜって、ポルノというものそのものがテレビ放送のように「なんとなく」見るのには適していないからだ。性は秘匿的であるべきだというのは、どこかで人間集団そのもののあり方に入り込んでいるので、ボノボのように開放的にはなり得ないだろう。念のために言うなら、僕は「秘匿的であるべきだ」と言っているのではなくて、「秘匿的あるべきだと人は感じる」といっているので、よくよく理解してもらいたい(ボクは個人的にはどっちでも良い、というかあまり興味がない)。

 

5.繰り返しになるが、日本の80年代というのは、団塊の世代が30代になって、もっとも勢いのあった時代だ。その後は失われた30年になったが、人口ピラミッドからはそうなったことにも、かなりの必然性があった。もっとも活力と能力のある30代が多い時代が、その社会の最高を実現する。今の韓国は文化が爛熟して世界から評価されているが、それは日本の20年遅れだと考えることができる。これからBEVで世界を席巻する可能性の高い中国は、日本の40年遅れだと考えられる。どの国のどの時代でも個人が取り上げられることが多いが、実はその社会の背景がなければ活躍できなかった。その意味で、時代背景というものは不可欠の要素であると感じられた。

 

ということでいろいろと感じたことがあるが、合計16話・12時間以上の視聴を通じて、ドラマも世界化しており、ローカルなコンテンツ制作というものが難しい時代になったことをまたしても痛感させられた。

 

ではまた。

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