かなり以前に友人と話していたら、彼は「僕は別に警察が僕の会話を盗聴していても構いませんよ。聞かれて困ることなんて、言っていませんからね。」と断言していた。なるほど、清廉潔白であれば、そう感じるのかもしれない。
僕はそうした意見に違和感を覚えたが、それはもちろん僕が常に悪者であることもあるし、もうひとつは、盗聴が同意のない一方的な秘密の侵害という性質をもっているからでもある。
この話を今ちょっと思い出したので、今日は僕が考える思考実験について書いてみよう。
自分の体にGPS(あるいは別種のビーコン)を埋め込んで、常にどこにいるのかを記録してもらう。ドコモのような会社にたのんで、自分ログを取っておいてもいいし、グーグルでもいいし、あるいは警察、警備保障会社でもいい。DNAデータベースに登録するのも同じように扱えるだろう。
これによって、自分が個別の犯罪を犯していないことを証明できる可能性は高くなる。
もちろん、強制的にGPSを体内に埋め込まれるということがあるなら、それは北朝鮮であり、重大な人権侵害だが、ここで問題にしているのは、自分の意思でそれを望み、潜在的な犯罪容疑から自由になることを望む、あるいは行方不明にならないことを望む、そうした個人だ。DANのデータベース構築は、すでにドーキンスがやるべきだと書いているぐらいだから、もっと問題にはならないのかもしれない。
ロスバードであれば、そうした「自分自身の第三者への擬似隷属状態」は「自分の奴隷化・政府による家畜化」の一歩手前であるとして、即座に否定するのではないかと思う。だが、功利主義場から考えれば、そうでもないかもしれない。
自分の居場所を常に教えるたり、あるいは後日、参照可能にすることによって、各種の冤罪可能性から逃れることができるし、あるいは犯罪に巻き込まれにくくなるかもしれない。まあ、こうしたメリットが大きな人がそんなにいるとも思われないが、、、、
しかし、デメリットは自分の居場所の明確化、という抽象的なものだから、別にそんなのなくても構わないよ、という人は案外多いのではないだろうか。差し引きしてみると、これからはGPSを埋め込む個人がいても不思議ではない。つまり、居場所やDNA情報の秘匿性なんて、人によっては大したことではないのかもしれない。
では、居場所やDNA情報を明らかにしないヤカラは、より犯罪をする確率が高いだろうと警察が推定するというのはどうか? 建前は無罪推定でも、現実にはそうではないように、実際には警察はそうした家畜化していない個人は有害である蓋然性が高いと考えるだろう。つまり、自分がGPSを入れれば、そうしない人たちに負の外部性が生じる。
生保の加入時にDNA調査を拒むなら、不利益を被る可能性が生じているというのも、論理としてはまったく同じだ。
なるほど、新しいテクノロジーは常にボジティブなものだけをもたらすのではなく、同時にある種の人たち(この場合は自由を愛する人たち)に負の外部性をもたらす可能性もあることが、よく分かる。あるいはネットで見ると、こうしたGPSの利用は、我々の長期的な精神活動にネガティブな効果を与えることになるのかもしれない。