kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

国債の日銀引受

みなさん,こんにちは.


僕を含めて,ほとんどの人がクリントンが大統領になるのだろうと思っていたら,トランプ大統領とはあまりに意外!! 本当に驚きました.


しかし考えてみると,メキシコ移民や中国からの輸入品(昔は日本からのクルマなど)が高卒白人労働者の賃金を下げているのは間違いのない事実であり,そうした白人アメリカ人はこれ以上の移民や貿易を否定したいということなのでしょう.


確かにアメリカで反映しているのはアップル,グーグル,アマゾンなどのテック企業であり,そこで働いているのは例外なく高学歴の持ち主であり,そうした比較優位を生かせない労働者にとっては,自由貿易も移民も大変な不利益です.


最近もBrexitという現象があったり,ヨーロッパでも中東の移民への排斥運動は高まっています.それに,今さら言うまでのないことですが,そもそも日本はまったく移民受け入れをしていないことからすると,人びとがいかによそ者を嫌うものなのか=自国の伝統を大事にするのかがわかります.民主党のような汎世界主義というのは,メディア従事者には受けても,実は多くの庶民の心の中ではあまり納得できないものなのでしょう.



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さて5講目はアベノミクス. 3つの矢は,「機動的な財政出動」,「大胆な金融政策」,「規制緩和」ですが,2012年からといえば,もう4年前というほどの長さです.この間に財政出動を続けることはできないし,マイナス金利などの大胆な金融政策=黒田バズーカも弾切れということになってきたようです.


規制緩和の方は,確か特区をつくるとか言ってましたが,案の定それはまったく実現せず,「一応総活躍社会」のようなスローガンだけが残っているのは,いつもながらの政治の常です.ここでは金融緩和の1.公開市場操作,2.金利の引き下げについてだけ,少し書いてみましょう.


1. 巷間に存在している1000兆円の赤字国債を,どんどんと日銀が買い入れるというのが大胆な金融政策です.日銀は単に金融市場で国債を買い入れているだけでなくて,さらに,去年から今年に発行された赤字国債なんかはほとんど100%日銀が買い取っています.つまり赤字国債の日銀引受が起こっているのです.この額はそのまま,日銀にある銀行口座などの資金量の増加=マネタリーベースの拡大になっていて,2012年の120兆円から,2016年夏には400兆円にもなっています.






図は日銀の統計サイトで作成した,マネタリーベースの拡大の様子です.実にはっきりと金融緩和政策が表れています.ここまでやって,デフレが続いているというのも実に不思議.明らかに貨幣数量説がまったく成り立っていない!


2. マイナス金利はヨーロッパでもそれ以前から試されていたので,特に大きな効果を持ちえないことは明白です.マイナス0.5%なら人びとは銀行に預金を預け続けるかもしれませんが,マイナス5%になれば,他の保管金融機関に頼んで,1―2%ほどの保管料を支払うことになるため,おそらくマイナス2%くらいがマイナス金利の限界のはずです.


ということで,金融緩和も限界であることからは,各種の規制が緩和されるべきなのですが,,,(よく解雇規制の緩和などが議論されています.余談ですが,これは僕自身が一番困る=ヤバイと感じる規制緩和ですね,,,ハハハ)


それはさておき,どんな規制緩和があり得るのでしょうか? 例えば,Airbnbuberの利用が典型的なものになります.あるいは,ZMPなどのようにこれまでの自動車会社ではない自動運転のソフト会社が,急速に圧倒的に大きくなることもありでしょうか.


日本人なら誰もが理解していることですが,日本の企業はここ30年以上もソニーパナソニック,NTT=ドコモなど,プレイヤーが完全に同じでまったく新陳代謝がありません.アップル,グーグル, アマゾン,フェイスブックなどはすべてここ20年に急速に巨大化した世界企業ですが,こうした新興の世界企業は日本には一社もないのです!!


さて,この世には未来にどんな企業が圧倒的になるのかを予測できる賢人などいません.だから,「あれこれのような(例えばグーグル)企業が出現するためには,これこれの規制をなくすべき」という命題を証明的に成り立たせるのは不可能です.全般的な規制の撤廃以外には,方法はありません.


テスラはすでに「オートパイロット」で交通事故死を起こして,ドライバーが死んでいます.あるいはこれからは,まちがいなく誰か通行人を巻き添えにするはずです.そこで,どうすべきか?? (ところで,僕は自動運転よりも高齢認知症ドライバーの方がはるかに危険になって来たように思うのですが,,,)


ここで常識人であれば,全員が全員,「正しい規則を作って,自動運転を過度に抑制しないような仕組みを作るべき」だといいます.そうした仕組みというのは道路交通法のような公法システムのことです.別に新規の道路交通法はなくても,民事的に運転者や自動車会社が責任を負うということで,判例法的に法システムが形成されることも,ごく抽象的には可能なはずです.


もちろん,こうした民事的な解決というのは日本ではまったく想定されていません.有識者という人がいるなら,すべて全員がなんらかの公法システムの策定を議論しているに違いないのです.しかし,なぜそもそもすべてを公法的な枠組みで処理する必要があるのか,あるいは私法的な枠組みが機能しないところだけを,公法で処理するという発想ではだめなのか?? 


話が完全に脱線してしまいましたが,「今実行されている活動以外は,原則として許されない」なら,新しい活動を行う企業は生まれません.「原則的にどんな活動も許されるが,明白な危険が存在するときにだけ,規制することが検討される」という「clear and present danger」の発想しかないはずですが,これはまったく受けないですね,,,,ザンネン 



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