kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

リカードの等価定理

みなさん,こんにちは.


最初の3講では,長期的な経済成長について書きましたが,4講と5講はケインズ経済学について少し.




ケインズ経済学が世界を圧倒したのは,世界恐慌に際して,経済学者が無策だったからだとされています.で,『一般理論』は大人気になり,それをモデル化してベストセラー教科書『経済学』を書いたのが,ポール・アンソニー・サムエルソンだということになっています.マクロ経済学の歴史的な展開を見ると,間違いなくその通りです.


さてケインズ経済学によると,不況に対しては2つの処方箋があって,1.公共事業の増加,2.市中金利の引き下げと,それによる銀行貸出=民間投資の増加,です.どちらにしても,確かに誰かの所得を引き上げるということになります.市中の貨幣量(マネタリーベース)が一定であっても,公共事業の発注やその流通速度を上げるということは可能だし,あるいは銀行乗数の増加で貨幣量を増やすことも可能だからです.


ここでは,財政出動について書くことにしましょう.

_


政府の財政出動のためには,増税,あるいは国債の発行か,あるいは新規通貨の発行以外の方法はありません.増税によると,消費者は可処分所得が減って,消費を減らすことになるために,望ましいとは考えられません.また新規通貨の発行はインフレを呼ぶので,結局は国債の発行に頼ることになります.


新古典派リカード・バローの等価定理によると,国債の発行をすれば,市民は将来の増税を予想するので,増税国債の発行は同じ結果を生むはずです.しかし,ここで論争が生じます.おそらくケインズ主義者は,人間行動の観察に忠実で,人びとはそれほど長期の見通しを持っていないという「行動経済学」的な立場をとります.対して,新古典派的な「完全合理性」を信じるなら,確かに国債の発行と増税は同じ結果を生むことになります.


僕の勝手な主観では,おそらく一時的な生産は確かに増加するという意味で,ケインズ主義は正しいと思います.問題は,その後に生じる政府の赤字の償還,これは現実には,長期的なシリョリッジによるインフレをどう評価するのか? という点です.


そうした緩やかなインフレは望ましいと考えるなら,ケインズ主義による財政出動は(少なくとも大不況時には)望ましいということになります.もし,インフレがすべて個人財産への課税であり,財政民主主義に反する活動だと否定するなら,ケインズ的な財政政策は否定されることになると思います.


人びとが,景気が良くなったと「感じる」こと,さらにその後で「インフレで生活が苦しくなった」と感じること自体の効用をどう評価するのか? あるいは評価すべきなのか? そうした問題は,経済学ではあまり議論されていません.


あえて言うなら,こうした「政府活動自体のinconsistency」というのは,政治哲学で議論されるべきことだと思います.さて,もし政府が好景気の「幻想」を抱かせることができるとするなら,それをどう評価すべきなのか??


人は希望がなくては生きられないでしょう.とすると,やはり政府は人びとに好景気の希望を与えるべきなのか?? あるいは,もともとそうしたことが無理であるなら,(ガンの告知のように)そのように告げるべきなのか?? ある意味で,white lieの状況に似ています.社会哲学的に難しい問題です.


皆さんも,ちょっと考えてみて下さい.


_