kurakenyaのつれづれ日記

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認知症薬の投与


こんにちは.ちょっと本を読んでみました.福岡県にある宅老所「よりあい」の所長である村瀬さんという人が後述するところを記した本です.これは介護方法に関する本ではありますが,ボクの興味を引いたところとしては,「認知症」という診断自体が,(若年性を除く)高齢者の場合は現代医療の問題であると指摘しているものです.


さてウツのクスリを処方するためにうつ病の診断が激増したというのはよく知られています.同じ話では,最近イーライリリーがADHDのクスリを出したために,妙に「あなたもADHDではないですか?」的なパンフレットが目につくようになりました.





基本的に同じような話が本書として,「認知症」が載っています.それは,次第に認知能力が低下してきた高齢者にアリセプト認知症改善薬)などを処方するため,また「介護保険」を適用するために,認知症という診断が乱発されているというものです.


一般論として介護がどうあるべきかは難しい問題ですが,知的な能力が下がりつつある人間の環境を入院なり,子どもの家に呼び寄せたりして激変させれば,それが悪化することは頻発するでしょう.この場合,認知症に対する投薬,さらにそれに伴う副作用に対する向精神薬の大量投薬を繰り返すというパターンが多いのですが,これが現代医療の問題であると本書は告発しているわけです.

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さて宅老所よりあいのように,「胃ろうはなし,オムツもなし,などというのは,理想論でしかない」,「現実にはそういう方法でしか介護できない高齢者がたくさんいるのだ」という主張もありそうです.本書が言うように,「ほとんどすべての認知症高齢者は,実はそういった非自立型の介護を必要としていないし,ほとんど最後まで自分でトイレに行けるし,行きたがっている」という主張が本当なのかどうかは,ボクのような素人にはちょっと判断できません.


ただそれでも感じるのは,本書の村瀬さんが主張するように,被介護者にも尊厳が必要だということ. おそらくほとんの人は薬漬け,チューブ・胃ろう・オムツと一緒に何年も生きていたいとは思っていないように思われます.


最後に,経済学の視点から一言.もし「宅老所よりあい」のような施設が,通常の老健・特養施設よりも人間的に望ましいだけでなく,介護という視点から見ても資源節約的であるのなら,もっと素晴らしいことです.より良いグループホーム制度として,ぜひとも宅老所類似の施設が全国にあまねく広がってほしいものです.




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