kurakenyaのつれづれ日記

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EBMへの不満とは??

代替医療解剖 (新潮文庫)

代替医療解剖 (新潮文庫)


皆さん こんにちは.

今日は前から思っていた, Evidence Based Medicine (EBM) についてもう少し.


1.多くのまともな医者はEBMにおいて,代替医療の効果を疑っています.だって,そうした治療法が効くんだったら,実際にやってみれば統計的に有意な差が現れるはずじゃん! ということで,当然,まずは否定することが前提になります.


2.しかし代替医療の宣伝文句の表現に典型的に見られるのが,「個別的」という言葉です.これは通常医療では個人の状態に配慮したものではない,つまり「画一的」な処置であるという批判に対応する言葉です.もちろん実際の通常医療では,「患者の病状・年齢・体力・その他の状況」に可能な限り配慮した治療法を選んでいますから,こうした批判はおかしいというのは「科学的」には,正しい反論だと思います.


でも,代替医療の好きな(多くは女性の)患者は,そうした個別性を超えた「個人としての人格的なレベル」での個性にまで配慮してもらいたいと思っているのだと思います.ちょうど自分は人とは違うかもしれない,いや違うはず,という直感に沿った形で治療法を決めてもらいたいと感じているのです.


当然,こうした配慮を突き詰めていくならば,「科学」も「統計」も溶けてなくなってしまいます.自然科学の規則は「一般的に」はてはまらなければ意味がないですし,統計というのも,観察対象がそもそもある種の基底的な画一性をもっているという前提に基づく概念です.また実際には,通常医療の支持者が実験によって何度も反証しているように,例えばホメオパスはどのレメディが誰に効くのかについて「それぞれの単なる直感」に頼っていて,まったく一致した意見がありません.だから効くはずがないのです.まあ,占いと同じですね.


しかしそれでもホメオパスが繰り返し,大衆から支持されるのは,人の来歴や人格・個性を徹底的に聞くという過程で,人から話を聞いてそれに共感するという発想が,人間のコミュニケーションの本能・欲望と合致しているからでしょう.生化学的な普遍性を唱えるような,これまでの科学的な発見などの話は重要ではないのです.むしろ通常 人は自分が他人と同じであるとは思いたくないし,いや個性を持った独自の存在だと信じたいということなのでしょう.


3.実際に,人間は一人ひとり(微妙には)異なった生化学反応をするはずです.だって遺伝子もそのメチレーションも若干は異なっていますから.とすると純粋に理論的には,tailor-made な治療法が考えられるかもしれません.これは実際に通常医学が目指す方向ですが,かといって代替医療を実践している人にそういうことがわかるとは思えないし,実際に彼らの「個別化」が奏功しているというエビデンスも,ほとんどまったくありません.


というわけで,代替医療の勧誘表現にあるように,通常医療は「同じような人間は同一であると考える」という科学的な「画一性」の前提を持っていることは疑いありません.それこそが医学が経験科学であり得る理由なのですが,残念なことに,そうした前提自体を嫌うような人間の本能があるように思われます.




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