kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

なぜ人は幸せではないのか?

幸せへの行動習慣2


1年後,5年後,10年後の最高にいい状態を実現した自分について,想像して書いてみる.恋人,家族,職業,出世,収入などのすべてについての実現可能なベストの自分を想像する.


これは,自尊心を高めて 積極性を高めるだけでない.そもそも何が自分にとって大切な価値であるのか,どういう状態になりたいのかをはっきりとさせてくれる.さらに そういう状態に至るためには,どんな努力をする必要があるのか ということについても考えさせてくれるので,それに向けての行動を起こすきっかけとなることが多い.


なるほど,これもまた納得できる.人はあまり自分の未来について明確なビジョンを持っていないことがほとんどだ.いや,すべての面でそうしたことについて考えたことのある人なんて 出会ったことがないように思う.そういう自分も,せいぜいが,とりあえず興味のある学位をとったり,論文を書いたり,わりと行き当たりばったりで,家族や健康,そうしたものについては適当に,漠然としか考えたことがない.


言葉にして明確化してみることで,自分の持っている価値観を確認し,それに向けての努力の必要性を理解するのは,確かに生きがいや仕事のやりがいを高めて,幸せを感じることにつながるということなのだろう.


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という風に2つ書いたところで,閑話休題


幸せになることで,周囲からも好かれ,仕事のはかどり,皆にそういた幸せが伝わるのなら,「なぜ,人はみな幸せになるように進化してこなかったのか?」という単純な科学的な疑問が湧いてくる.さらに「幸福感」は,御多分にもれず,50%という大きな遺伝性を持っていることも,,,


1つ目の仮説は,不幸せな状態にも適応価が存在していたというもの.積極性がアダとなって墓穴をほってしまうことはあり得るから,不幸せな感覚 → 消極性,という流れにも,意義があったということになるのだろうか.あるいはもっとありそうなのは,後述するように,不幸せだからこそ,(物質的な)幸せを求める → 適応価を高める,というパターン.


2つ目は,寿命や,身長,知性などと同じように,幸せなことは望ましいために,次第に進化して向上し続けてきたが,それでも遺伝的な分散は残っている,というもの.まあ,これもまた究極的には,ではなぜ分散を生み出す対立遺伝子が残ってしまうのかといえば (あるいは遺伝子が固定しないのかといえば),そうした対立遺伝子にも,ある場合には意味があったからだ,という1つ目と同じになってしまう.


高い身長は一般的に言って,まちがいなく望ましいが,飢餓の際には,あるいは餓死の危険性を高めただろう.ニューロンが多ければ知性は上がるが,2%の神経細胞は20%もの代謝量を占めていることからすれば,餓死する可能性も上がる.あるいは,ネットワークの形成には時間がかかってしまい,早い成熟と繁殖とは相容れないだろう.


3つ目は,美と同じように,幸せというのは fitness indicator であるというもの.う〜ん,これが正しいとするなら,精神の活動量,あるいは潜在的な能力というのが「主観的な幸福感」というものに反映されていることになるが,,,どうでしょう??


さて,リュボミルスキは,「金持ちやステイタスのある人は,平均的な人たちと同じ程度にしか幸せを感じていない」という,よく知られている事実を述べて,だから,「そうした快楽主義的・物質主義的なものを求めて幸福になろう」と考えるのは心理学的に誤っている,という.


これは人生を生きる知恵としては正しいことは間違いないとボクも確信している.反面,ステイタスや物質は過去の人類史においての適応価を高めてきたことからすれば,そうした欲求を持つほうが,持たないままに現状を維持しつつ「幸せを感じる」人よりも多くの子孫を残したように思われる.


この考えは結局は1つ目のものと同じなのだが,つまり我々は幸せを求めて,より大きな富やステイタスを求めるようにプログラムされていることになる.そうしたほうが,(少なくとも過去の生活では)適応価が高かったのだ.


そうだとすると,我々が幸せになれないのは,過去の社会に適していた心性と,現代に適した心性が 大きく異なっていることから生じる現象だということになる.


先進国の男の子たちは,今もFPSゲームを積極的に楽しんでいるし,アラブではイスラム国が勃興,維持されている. これもまた ちょうど,現代社会の(交換経済の)仕組みに適した心性と,過去の(政治的な独裁の)仕組みに適した心性は違っているからなのだろう.


あるいはこれは,食べ物が少なかった過去に適した体が,糖尿病や肥満の問題になっていることにも,相似している.しかし,こうした体の問題は多くの人が受け入れる知識だが,心のあり方というのは価値観と直結していて,容易には変えられないように思われてしまう.価値観のドラスティックな変更は,洗脳や宗教的な帰依にも似ている.ムズカしいところだ.







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