kurakenyaのつれづれ日記

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なぜStateに特別な権威を認めたいのか?

The Problem of Political Authority: An Examination of the Right to Coerce and the Duty to Obey

The Problem of Political Authority: An Examination of the Right to Coerce and the Duty to Obey


敬愛する友人からアナーキー本をすすめられたので、読んでいる。この手の本は、僕的にはこのところ刺激を感じなくなり、あまり読まなくなっていた。一時期、考えすぎたのかも。。。。

この本の素晴らしさは、驚くほど平易に書かれているが、内容は深いというオドロキ。Jargonもなく、極めて普通の言葉で書かれている。内容としては、「常識的な行動の自由や、あるいは個人の所有権からは、どうしても「政府の権威」というものは肯定できない → アナーキーしかない」ということを結論づけている。


今日の所で25%ほど読んで、特筆すべきは2つほど。


1,世界には多様な意見があり、それは「合理性」「情報の多寡」だけでは、到底収束しないという事実の認識。 これは僕も同じ意見で、本当に世界には多様な見解がある。 ストリングは正しい方向に向かっているのか? ロールズのような考えに至るのか? プラトンイデア論は何か現実と関係しているのか???  


どれも、どういった前提をとり、どういった論理、あるいは直感や経験、実験結果に依拠するのかによって、ほとんどの結論は変わってくる。このことは、認識論哲学者でもあるHuemerは非常に論理的に訴えているが、僕にはほとんど自明なように思われてしまう。(これは悪い意味ではなくて、真摯な態度であるという褒め言葉。)


2,とすると、政府の役割や存在自体も疑うことができるし、実際にそれはなくても社会は機能するので、政府の存在の必然性、合理性など存在しない、ということになる。


中世の西洋人は「神」が実在すると思っていたようで、例えば17世紀になってもロックなども無神論者を非難しまくっている。もちろん、今もマジョリティは神の存在を信じているようだ。しかし、21世紀のドーキンスの「神は妄想である」を読めば、確かに妄想だったことがわかるだろう。


「神が実在する」と皆が感じるのは自然であり、おそらくは進化的にも理由があるのだろう。まったく同じように、「政府は国民に命令する権威を持っている」、「政府が必要である」というのは、論理や理性からの結論などではなくて、進化的・遺伝的に我々の大脳に埋め込まれた、直感なのだろう。つまり、政府を肯定して、その一部になった人間がより大きな適応価を享受してきたということなのだろう。


でなければ、これほど多くの(相当マトモだと思われる)政治哲学者が、政府の正当性について懸命に屁理屈を付けようとして、人生の多くを費やすわけはない。つまるところ、現代の政治哲学者とは、中世に「神の実在はどのように確証されるか」を論じた神学者の現代版なのだ。


というわけで、久しぶりに楽しい思想本に出会って、ゆっくりと楽しんでいる。続きはまた今度。


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