「性の解放」というのは、意外と深いテーマだ。右翼は性を神聖視する一方、左翼は性を現世的な快楽だと肯定する傾向がある。
以下、あまりにエゲツナイ考察なので女性(いるはずねーだろ>オレ ww)は読まないで下さい。
そういえば、昔大学に入って30年前に見たアダルトビデオでは、女優はヨガる時に、「イヤ、イヤ」と言っていたと漠然と記憶しているが、現代のアダルトビデオを見ると、全員が「イイ、イイ」とヨガっている。
なんてこった! 同じ感覚を表すのに、30年前は否定的で、現代は肯定的だなんて。 カトリックのいう原罪がむしろ肯定されているようなもんで、なんていう変化なんだろう。 ちなみに、これこそがおそらく日本のアダルトが、アジアでは昔のスウェーデンポルノと同じように、各国を席巻する理由なのだろう。
世界は、性を神聖なるものから、単なる個人的な快楽へと貶めてきたのだ。まるで、性欲と食欲が同じようにhedonisticなもので、区別できないように。。。
まあ、ボノボは男女問わず、融和のためにホカホカをしているわけで、性が本質的に食事よりも神聖なわけでもないだろう。おそらくは、人の進化において、何らかの偶然が性の神聖化を促したのだろう。なぜ、食事は公開の場でするが、性は秘匿的なのか? そうした解明こそがあるいは何らかの適応価を明らかにするのかもしれない。
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