kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

工業、農業高校とかって何??

どこの国にでもあるのだろうが、政府の審議会というのはバカらしい。


今日、たまたま日経を読んでいたら、またしても「大学入試に、意欲、能力などを総合的に判断」とかいう審議会の結論? が載っていた。なんでも、世界的な視野をもった人材を教育するために必要なのだそうだ。


ボクが高校生だった30年前から、やれ面接を導入しろ、だとか、いや小論文だ、とか入試改革は叫ばれているが、実効性があった試しがない。


よくよく考えてみれば、仕事の能力がどういった資質や教育によって高まっているのか? という問いに変えてみれば、心理学の知見が生きてくる。それは純粋に知的な能力に加えて、性格的な面での誠実さconscientiousness だけである。


もちろん、科学や数学などの知識は稼得能力を高めるのは当然だが、それ以外には有効なやり方などないということなのだろう。


あるいは仮にそうしたものがあるなら、政府による一元的なオシキセではなく、むしろ各大学による試行錯誤の結果として、発見されるものであるはず。どうして大学審議会に集まっている「有識者」なんかに聞く必要があるのか?


いつものオチだが、答えはある。それは役人と政治家の自己正当化だ。一般有権者が、有識者が何かを知っているはずだという期待をもてばもつほど、それは高まるだろう。つまるところ、なぜだか心理学のジャーナルを読んだことがないだろう人が、一般受けの良い常識を繰り返すことによって、税金の無駄遣いによる、画一的な教育制度の実施普及を正当化してくれる。


以下、小さな余談。


ボクが日頃から感じているのが、商業高校、工業高校、はては農業高校などの、高度成長以前の昔からずっと続いてきた実業高校教育の無意味さ。


実際に、そうした教育はもう日本では必要ない。だって、そうした高校を出た人材は、別にそうした技能をまったく使っていないのだから。サービス産業がほとんどの日本で、実業教育なんて成立しない。(もちろん、だからといって普通教育が彼らに向いているとも思っていないので、おそらくはみんなで多様な就業体験・インターンやボランティア活動をしたほうがいいのでは??)


さて、それでも、なぜだか実業教育という虚しい制度だけが残り、その資格を持つ無意味な教員の雇用のみが維持促進され続けている。ボクの勤務先でも商業高校の教育免許というのをやっているが、これが意味があるなんて、いまどき誰も信じちゃいない。


信じちゃいないけど、免許がなければ、学校の教師になれない。まさに幽霊がいるいるといっては、それを退治するための計画を立てて、その予算をつけているような怪奇。これを奇譚と呼ばずしてなんぞや??

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