最近、たまたまアメリカの所得分布を見る機会があった。
内容をざっくり言った感じでは、年収の下位10分位で150万ほど、上位10分位で1500万以上の差は、10〜20倍といったところか。日本よりも、下の所得は低く、上の所得は高い。それだけ、分散が大きいということがよく確認できる。
どの先進国でも所得の格差は、この30年以上も開く一方だが、その一つの理由として、先進国製造業の途上国への移転があげられる。
アメリカでは、80年代から日本その他の自動車・電機メーカーによって製造業が空洞化し、中間所得層が減少した。今、日本でも同じように、猛烈な韓国、台湾、中国のメーカーの攻勢で、国内製造業は空洞化しつつある。
製造業がなくなれば、知的活動を中心とする高付加価値な労働と、清掃などを中心とする単純労働の2極化が起こり、所得格差もそれだけ開いていくというのが、説明となる。(同時に、もともと平等意識の低いアメリカ企業では、大きな所得格差が容認されやすいという文化があるのも間違いないだろう。)
しかし、中国の賃金が安い状態は長くは続かないだろうから、製造業は今後インドネシアやヴェトナム、あるいはバングラデシュに移っていくだろう。では、その国の賃金が次第に上がればどうなるのか?
結局、途上国は発展して賃金が上がれば、再び製造業が先進国に戻ってくる可能性はある。もちろん、かつてと同じような賃金ではないかもしれないが、あくまで比較の問題として、例えば、メルセデスやBMWなどのように品質管理ができるなら、先進国の製造業はそれなりに高い賃金を得ることで成立し得るはずだ。
とすると、現在の所得格差の拡大は、途上国という存在が世界経済にintegrateされる過程での、一時的な現象なのだろうか? 製造業が先進国にやがて戻ってくるという考えからは、そう言える要素はある。しかし、ボクにはこの要素が最大のものになるとは思われない。
人間の知識は、あらゆる点で爆発的に多様化、複雑化、高度化を続けている。高度な商品が開発されてゆくだろう未来に向けて、今後の所得のレベルにおいても、知性や学力に類した指標による格差は開き続けるように思われる。
ボクは携帯電話を作れないが、それをつくれる人になるには、あるいはその構成要素であるArm, Qualcomm, Tegra などチップデザインをするためには、ひじょうに高い知性が必要であることは疑いない。
こればかりは今後の歴史を見るしかないが、ボクの今後30年の人生で、どうなるのかは本当に興味深い。おそらくもっとも楽しみにしている社会変化の一つだ。
さて、話題はやや代わってしまうが、ボクはといえばあと15年で定年になるので、定年になったら腐敗死体の清掃業務などをやってみようかなと思っている。普通の人は嫌う仕事だが、しかし有用性・必要性が高いという職業はいくつもあるだろう。ボクにふさわしい第二の職業なんじゃないかと、死体処理専門のウェブサイトなんかを読みながら、なんとなく考えている。
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