kurakenyaのつれづれ日記

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印鑑も漢字もやめるべき

今日たまたま2つの記事を見つけて、興味深いのでここに書いてみる。

 

 

一つは印鑑の使用を止めたほうが良い時代になったという話。もちろん、電子的なやり取りにとって効率的ではないのだが、それに印鑑製作の業界団体が反対しているという当然というか、いつもながらの状況についての記事である。

 

 

www.itmedia.co.jp

 

印鑑には意味がないどころか、本人詐称などの弊害しかないことは、ボクが大学入学の時点から民法で徹底的に教えられた。

 

 

ところがその法的な解決法はさておき、法学者には一人として「そもそも印鑑を全廃してサイン=署名にすればいいじゃね」と言っていた人はいなかった。この辺のメカニズム・デザイン的な発想の欠落と、単なる制度的な保守主義というのは、法律教育というものの本質的な問題だ。

 

 

それはともかくとして、、、、みんな自分の利益になると、なぜだか公益に合致してするというような重要性や意義があると主張する。日経新聞だって、新聞は公益に即しているから税率を8%に据え置けというし、もちろんボクの勤めている私学団体だって税金投入をもっとしてくれと言う。結局、もっと一般的な原則として、いわゆる社会政策的な配慮とかいうものを禁止して、最低所得補償でもバラマキでも何でも良いが、政策ベースでは個人を対象にしなければなければ、もうはや誰にもどうしようもない。人間は悲しいほどに、誰しもが徹頭徹尾 私利私欲に生きている。まさに囚人のジレンマ

 

 

もう一つは、元号はコンピュータと相性が悪いので、全部西暦にすべきだという主張。

 

news.yahoo.co.jp

 

 

はいはい、これは当然西洋かぶれのボクは同じように考えてますよ。今や和暦なんて役所と学校=文科省の外郭団体しか使ってないんじゃないか?? とはいえ、おそらく産経新聞は反対するのは当然だろうな 

 

www.sankei.com

 

ちなみにイスラムではイスラム暦だし、独自のものがあるのは結構なことかもしれない。合理主義的に考えれば、キリストが特にありがたいわけじゃないが、結局はヨーロッパ人がコンピュータ(だけじゃなくて、近代のシステムと科学全部)を作ったのだ。

 

同じ流れで、縦書きと左への改行という日本語表記の教育もやめればいい。いまさら小説や新聞だけがそうした伝統を続ける必要はないし、そもそも縦スクロールと相性が悪いので、移植の手間が必要なだけで、単なるバグの原因だとしか思えない。

 

 だって縦書きも漢字も中国人のもので、この島の土人は文字なんて持っていなかったのだ。なるほど東アジアが中国を中心にしていたことは間違いない。その次代、過去2000年のスタンダードが和漢混淆文なのだ。すべての学術が英語で統一されている現代には、和英漢混淆文こそがあるべき姿だろう。それがこの島に生まれた子どもたちの世界的な活躍という未来と、これまでの文化との妥協点というものだ。

 

 

こうしたすべてはしかし、ボクのような昭和世代にはまったく賛成されないこともよく理解している。結局 上の問題と同じで、ボクたち昭和のジジイたちは、自分の受けてきた教育を次の世代に押し付けたいだけだ。それがどれだけ次の世代の子供たちの活躍の可能性を狭めるものであっても、自分たちが大事だと思うものを押し付けたいだけ。

 

 

ところがどの家庭でも、子供を英会話塾に1万円も払って通わせているんだから、本当にどうしようもない。そして灘高校から大量にアメリカの大学に進学する時代。(そういう学生の多くが東大にも合格している。その場合、東大には最初の4-8月だけ通って、その後にハーバードやオックスフォードに行く。) 産経新聞の社員たちだって、どうせ子供には英語教育を与えたいと考えているはずだ。

 

 

 

うーむ、老人に受けるために偽善の愛国心を示し、ゆるやかな自殺に向かっているということなのだろう。

 

 

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