kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

自分の人生を終わらせる権利

「神聖なるもの」について相変わらず考えている。


社会にはそうした神聖なものが存在し、また必要だということが、本当にあるのだろうか? 一般に保守派の主張にはそうした要素が強いが、リベラルはそうしたことに否定的であるのが普通ではある。とはいえ、今も


http://www.cnn.co.jp/world/35020554.html?tag=cbox;world


というわけで、現代のイギリスでさえも自分で死ぬ権利は認められていない。でも、どうしてこういうことになるんだろうか。僕は、その時点での自分がそう望むなら、苦痛の大きなガン治療よりも、むしろ鎮痛剤をもらってゆっくりといきたい。


現代の国営の保険制度では、高度な医療を受けるなら、他人にもその負担の全部または一部がかかることになる。どうして他人に経済的に積極的に負担をかけるという意思決定が、かけない意思決定よりも優先される必用性などがありえるのか??


これも、医療技術が進歩して、そうした存在の絶対数が増えるにつれて、(現在の同性愛と同じように)次第に認められるのではないかと思っているが、どうなんだろうか。