kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

一人称 2

先日、日本語の一人称単数型について書いたが、「オレ」「ボク」の2大表現の他にも、「自分」とか「わたし」というのもあることを思い出した。


「ジブン」は警察や軍隊などの上下関係の厳しい組織に属する人の言葉だが、もしプライベートでも自分の親や妻に向かって、「自分は〜〜」という人がいたら(高倉健??)、それはカッチンコッチンの組織人間だろう。本当にそういう人がいるのだろうか? ボクは会ったことがない。

男で「わたし」{わたくし}を使うなら、それはボクに輪をかけて品が良い人なのだろう。やや、精神的な距離がありすぎで、プライベートで使う人がいるような気がしないのは、ジブンと同じだろうか。でも、ボクが大学時代に民法の授業をとった星野先生という人はクリスチャンで、ワタクシとプライベートでもいってそうなひとだったなぁ。

それから、アタシというもありだろう。実際の僕のアメリカ時代の(日本人の)友人はそういっていたが、当然にゲイだった。

なお、ダジャレた漫画の世界では、アメリカかぶれやアメリカ人は「ミー」を使うことになっているが、そんなヒトには出会ったことがない。これはカリカチュアで、実在しないと思う。


とすると、なかなか日本語を操るのは難しいことがよくわかる。しかし翻って、どうして一人称を複数保つ必要なんてのがあるのか?? 


アメリカ人のリベラルな友人に、「僕はいい考えがある。英語ではPCに表現すると、he or she, his or her, her or him などと面倒くさいから、E, es, em という中性人称を使えばいいのだ」といったところ、(当然ながら)それは彼らの感性から不可能だと一笑に付されてしまった。

性同一性障害を始め、多くの面倒な問題を解決すると思うのだが、、、、


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