kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

教育を受けた人材は後進国を目指すはずだが???

経済学では、生産要素は高く評価されるところに向かっていく。国際貿易での常識だが、金がインドで高いなら世界の金はインドに向かうだろう。同じように、高い教育を受けた人は、希少材であるから、先進国を離れ、後進国に行くのが所得を上げることになるはずで、経済学的に考えれば、そうした人間の就職の流れがあるはずだ。


ところが、日本人ビジネスマンの家族がインドネシアに駐在すると、メイド付きの王様になるのが普通だ。しかし、子どもたちは、現地の日本人学校に行き、日本人の塾に行く。親は自分の子どもに、日本での成功を望んでいるのであって、インドネシア人エリートになってほしいなどとはつゆほども思わない。



まさか、日本の大学教育が優れていると思っている親はいないだろうから、つまりは親は子どもに日本人として生きてもらいたいのだろう。


しかし、それはなぜなのか?


同じ能力なら、日本で生きるよりも、インドネシアやフィリピンで生きるほうが、生涯賃金が高く、尊敬されて生きれるのではないだろうか? 経済学の常識では 希少性の高い財はより高く評価されるため、日本人で生きるよりも、インドネシア人になったほうが賃金は高いことを示唆する。



あるいは、この経済学の定理自体が間違っているのかもしれない。とくに教育や所得には外部性があるから、同じ能力なら、周りの教育水準が高く、賃金が高いほうが、より高い所得が得られるのかもしれない。例えば、日本の床屋はインドネシアの床屋よりも所得が高いように。


どちらが本当なのかはわからないが、先進国の高所得者が子どもを後進国で育てたいとは思わないことは間違いない。つまるところ、グーグルやアップルはアメリカにあり、アメリカでなくてはこうした企業は生まれないからだ。そうしたチャンスを与えてやれるのは英米権だけだということは、現地の日本人駐在員の子どもが現地校に通っているのは、英語圏だけ(あるいはわずかにヨーロッパ諸国か)だということからも明らかだ。


所得の多寡だけが重要なわけではない。多くの親は息子がインドネシア語しか離せなくなることを望んでいないし、あるいは日本人としての伝統も受け継いでもらいたいと思っているだろう。


それでも、高い教育を受けた先進国人が、後進国に永住しようとしないことは傾向として間違いない。とすれば、少なくとも住居の選択には、これまでの経済学では無視してきたような、所得以外の多様な価値観=効用が入り込んでいるということなのだろう。



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