kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

認めたくないものだな、・・・

セロトニントランスポータ5HTTの遺伝型には長短2つの型があって、これが短いS場合には不安が強くなることが知られている。さて、chiao and blizinsky

http://rspb.royalsocietypublishing.org/content/early/2009/10/27/rspb.2009.1650.full

の論文は、このSLの分布が、個人主義vs集団主義 と強く相関しているというものだ。


著者たちの主張では、不安を感じやすい性格に対するバッファとして、集団主義的な文化が発達したのだという。さらに(僕は信じていないが)アジアでは集団主義的な文化のおかげで、不安障害の患者も少ないという。


さて、確かに、東アジア人はSSの型が圧倒的に多くて、不安が強く集団主義的だというわけだ。反対にヨーロッパではLが多いので、個人主義的になる。他にもドーパミンレセプターの違いによる新規性追求の違いなどもあるだろうが、僕はこのセロトニン系の違いが、ヨーロッパではじめて民主主義が生まれたもっとも大きな理由ではないかと思っている。


ナヨナヨした歴史主義であーだこーだというのもいいけれど、民主主義が実際に機能しているのは、ヨーロッパ人が中心になっている社会ぐらいで、あとは戦争に負けた日本と、近隣の韓国、台湾。アラブでは完全に宗教中心だし、中国ベトナムでは独裁だ。


そもそもヨーロッパ人が民主義を信仰していなかったら、果たしてアジアに自発的に民主主義(あるいは自然科学)が発生したのだろうか? 僕は無理だったのではないかと思っている。残念なことに、アジア人は勤勉で知性も高いにもかかわらず、人口規模に比して、驚くほど科学(や数学)にわずかな貢献しかして来ていないし、豊かになった今でもその点では大きく変わっていない。


こういった遺伝決定論というのは、なかなか信じたくないものだ。しかし、残念なことに、願望や倫理感と、世界の存在的な事実は往々にして異なっているということの一例にすぎないのだろう。認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちとは。