kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

医療の遅れは人殺しだ

「先端医療」についてのムックを読んでみた。

http://www.amazon.co.jp/dp/4862486487/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1292571239&sr=8-1

いろいろな先端医療の話が載っていたが、一番面白かったのは、遠隔手術ロボットのダヴィンチというスゴ腕のマシンだ。彼は微細な手仕事を確実化してくれ、患部を拡大してくれる。さらには執刀医の術中の手の震えのような、有害な動きまで検出して自動的にトリムしてくれるという、まさに未来の手術ロボットだ。


それが2000年から世界で稼動しているのに、日本では2009年に認められたということらしい。初回の手術は、韓国から熟練医師が着て、指導して行ったという。世界的な圧倒的な安全性の実績があるのに、厚生省ではなぜ10年も認可するだけにかかってしまうのか?


この場合、生ワクチンとは違って、国内に製造業者はないから、圧力団体となる企業は存在してない。にもかかわらず、日本にはドラッグラグ、マシンラグがある。


圧倒的多数の消費者は、現時点ではマシンを使う必要がない。とすると安全性を優先して、認可を遅らせるような態度に出るのは当然だということになっているのだろう。この場合は命もQOLもかかっている。なんで、他人様が試してみようとする医療行為にまで、あれはダメ、これはいい、などと口出ししようとするのか?


ところが、こういう話をすると、「金のないやつは死ね」というのか! などとよく書かれてしまう。しかし、そういう風にネガティブに、あるいは妬みでものを見ることもないだろう。もともと、手術や放射線療法、抗がん薬などという西洋科学的な手法が開発されてこなければ、どのみち皆がもっと早く死んだはずだ。


現在にいたるまでの、医療の発達の歴史を見てみる。常に資源にゆとりがある人がまず私財によって新たな方法で治療してもらうことによって、治験がなされて、技術が進歩・普及してきた。その結果、すべての治療法が、現在のように一般人が使えるほどに安価になってきたのだ。次の世代が享受することができる医療技術の発達のためには、現在の富裕層が新しい技術を試して、多少長生きするくらいは認めていいんじゃないのだろうか?? 


ちなみに、本の中に、関係する医師の感想として「アメリカには挑戦を肯定するという文化があって、それが新しい医療技術の積極的な採用につながっているのでしょう」というのがあった。あるいはこれは本当で、彼らのほうが新奇性追求の度合いが高いために、彼我の格差が生じているのかも知れない。そうだとするなら、実に残念なことだ。