kurakenyaのつれづれ日記

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ネットワーク外部性

昔からのことだが、経済学をやっていると、かならずネットワーク外部性の議論に出会う。

これを簡単に説明するなら、「通信や送電などの、ネットワーク型の商品、サービスの場合、他人も使っていることが自分の利便性を高める。そのため、初期投資が莫大になるため、参入障壁が高い。よって、完全な自由競争は成立しない、あるいは成立しにくい」 とでもなる。


これはこれで、結構な主張だが、だからといって、政府が出れば、市場よりも良い解決法があると結論することにはならない。政府のほうがはるかに悪い独占体を許容し、永続化しているからだ。


送電がネットワークであることは間違いないが、それでも、なんで一社である必要があるのか? 別に携帯電話の会社はいくつもあるが、それで効率が上がってサービスが安価にはなっても、高くはなっていない。どうして、送電線を多くの会社に張り巡らさせ、電圧、送電方法を多様化させて、競争させることが、そんなに問題だと考えるのか?


宅配便でもそうだ。全員がヤマトを使えば、スケールメリットのお陰で、効率は上がるようにも思われる。 しかい,実はそうなれば競争インセンティブが削がれて(X非効率が生じて)、結局は高ついてしまう。 


電話でもそうだ、全員が同じプロトコルの電話に繋がっていれば、一見して効率はいい。それは間違いないが、僕が使っているスカイプやグーグルフォンは、(あるいはカカオトークは)全員がつながっているわけではない。けれども、それなりに機能しているし、サービスとして競合している。なんで、全員が同じネットワークを共有することを、政府が強制する必要があるのか? 


IP電話でも、アナログにして別の音声ネットワークととつなげることは簡単だ。あるいは、僕はワープロでは、ワードをほとんど使わないが、ファイル形式は使わせてもらっている。その程度のネットワーク性で十分だろう。


ネットワーク外部性について話す人たちは、結局は「自分の判断」で社会のすべての需要が理解できると考えている。けれども、特定の個人たちは、そうした官僚規制を越えたサービスの必要性を理解しているはずだ。だからこそ、常に新しいサービスが生まれてきているのだ。


送電でも、ある地区だけからの送電を認めればいい。ユニバーサルにやらせようとするから、「莫大な初期投資が必要になる」のだ。つまり政府が、それを勝手に強制して、参入障壁を高くしているのだ。


なぜ、多摩丘陵のある地区だけで、送電網を構築して、自然エネルギーと蓄電池での生活実験をしようとするのに、政府の許可がいるのか? 三井物産が砂漠の巨大都市でできるのなら、どこの日本の地区でもできるはずじゃないか?


同じ事は、飯田哲也さんなんかのエコ派にもいえる。なんで国家がエコ事業を推進する必要があるのか?エコが経済的、あるいは心理的満足を本当に高めるのなら、ある地域だけからでもやれるはずだ。国家の介入をやめさせる必要はあっても、政治権力を説得する必要なんてない。


電波のオークションには初期投資が必要で小さな企業が算入しないだろうから、既存の企業にタダで配るというのは、愚の骨頂だ。 限られた都市部での通話通信だけでも十分な人達だって大量にいるだろうし、そうしたニーズに答える圧倒的に安い会社があってもいい。反対に、広域営業さんなんかは、僻地でも使いたいのかもしれない。そうした違いを、なんで、政府が監督するんだ???


つまるところ、科学技術は常に進歩している。国家が規制をすれば、結局そうした新しい試みは否定され、既存の認可された大企業のサービスの質は停滞し、料金はたかどまる。


ネットワーク外部性などが重要だから、という人がいたら、その人は、実は社会全体について考えてばかりいる全体主義者なのだ。そうしたネットワーク外部性は確かにあるが、しかしそれを越えたニーズや、それを低める技術によって不断に挑戦されている。 政府がそこですることは、逆効果しか産み出して来なかったし、これからもまちがいなくそうだということをもっと多くの人に理解してもらいたい。