kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

LJP:財政再建と経済成長は脱政治で

僕の生活を支える職業は、ひじょうに普通の経済学を教えるというものだ。で、先週は授業で「日本的経営」について説明した。事前に用意していった映像は、カルロス・ゴーン氏の年収が8億9千万だという内容のニュース。そこで、菅直人氏がゴーンさんを指して、首切りで利益を出してきたと、ほとんど個人批判していたことを思い出した。
http://news.livedoor.com/article/detail/4839499/


そこで、せっかくLJPでブログをやっているのだから、(いつも非現実なことばかり話題にしている)僕にしては珍しく、菅直人さんのこのを批判してみたい。なお、僕が読むことの多いmojixさんも、この発言を問題ししているhttp://mojix.org/2010/06/25/kan-kubikiri が、僕なりの視点から書くことにしよう。


ゴーンさんは確か、10年ほど前にニッサンの東村山工場を閉鎖して、他の工場に移動できない従業員を解雇して会社を立て直している。それが気に入らなかったのだろう。だが実際のところ、その後のニッサンの利益は海外を含めた売上の急速な増加から生じている。工場閉鎖と人員削減というリストラによってコストをカットしたこと自体は、単なる一時的な止血行為でしかない。


しかしもっと重要なことは、長期的に見て、日本のような労働賃金の高い国で、クルマなんかを作る必要はまったくないということだ。この意味で、日本の自動車組み立て労働者は、次第に減少していかざるをえない。


実際、今年からニッサン自動車は小型車のマーチを、インド、中国、メキシコ、タイで生産して、全世界に輸出している。日本での販売はタイでの生産だ。そう遠くない将来には、次第に日本メーカの小型車が輸入に置き換わる。さらに長期的には、超高級車以外、ほとんどすべてのクルマは(設計はドイツや日本でされても)、生産はバングラデシュカンボジアミャンマーのような低賃金国になるだろう。


もちろん、高級車が先進国で作り続けられる可能性もあるが、iPhone4の生産をしている先進国はない。電気自動車が主流になって、部品がモーターと電池、あとはボディとなれば、パソコンの生産と同じように、自動車もコモディティになるだろう。僕らが着ている服の何割が、家電製品の何割が日本製か、あるいは先進国製かを見れば、流れは明らかだ。


翻ってみれば、イギリスのラッダイト運動は「機械の打ち壊し」で、つまりは自動織機の普及によって職を失った工員の暴力活動だ。もっと後には、鉄道以前には、多くの人々が馬の世話や育種を職業にしていた。そういう職業は、鉄道の普及と共に消えてしまったのだ。あるいは現在の農業従事者は、アメリカでは人口の3%で、日本でも5%しかいない。


つまるところ、技術革新や貿易の進展にともなって、職業的なニーズは変化してしまう。しかし、それによって生産性は向上して、生活水準も上がる。機織り職人が現代社会にいたら、その分だけ明らかに平均した我々の生活は貧しくなるんじゃないのか? 鉄道や自動車を作る代わりに、馬を育てる人が昔と同じようにいたら、その分ムダではないか? 農業人口が江戸時代のように90%を超えていたら、日本人は今のような豊かな生活ができるのか?


ニッサンは民間企業だから、効率が悪ければ赤字になるし、結果ルノーに支配されることにもなる。対して政府の効率が悪くても、未来の国民からの税収をあてにして、とりあえず債権を発行し、当座は知らない顔でいられるわけだ。


G20菅直人氏が「成長と財政再建を同時に実現する」と主張すること自体は結構だ。しかし彼は、その両者ともに小さな政府でなくては、それらは実現できないというという風には理解していないことが問題なのだ。財政再建をするためには、増税ではなくて小さな政府にするしかないし、経済成長を実現するためには、解雇規制などを増やすのではなくて、なくすしかない。まったく認識が正反対だ。


どうして社会主義崩壊から何も学ばないのか。社会主義が去ってからの20年で、有権者に資本主義の意義が人々に忘れられてしまったからなのか。そうであるなら、ますますポピュリズムにすり寄る政治活動そのものがすべての元凶だということになる。