- 作者: 蔵研也
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2016/10/25
- メディア: 単行本
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みなさん,こんにちは.
まず第一,に国内産業における分業の利益だとすると,そのまま拡張すれば国際貿易になります.しかし「貿易」という言葉があるということ自体が,どれだけ我々の生活において「政治」の力が大きなものかを表しています.国内の経済取引ではないだけで「貿易」という,専用の言葉があるのですから.
この本では,平清盛の目指した福原京の建設と日宋貿易の拡大という話題と,織田信長の目指した南蛮貿易の支配と,さらに明国の征服です.どちらも野望を持ったは良いが,その後の鎌倉幕府,江戸幕府では外国貿易は行われなかったという点で類似しています.
1200年代から東アジア貿易が盛んになっているなら,日本はオランダのように海洋国家になっただろうし,倭寇どころか,どこかの時点で再び日本は中国や朝鮮半島と一体化した政治支配に至った可能性があります.そうすると,あるいは今は中国50民族の一つになってしまっているという可能性もありますが,,,,歴史に「タラレバなし」といいますから,そうした話をしても詮無きことですが,興味深い話ではあります.
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ということで,第2講では,デイヴィド・リカードの「比較生産費説」を取り上げています.この話は,いつも授業で扱うのですが,経験則からすると,あまりに詳しくやると学生が飽きてしまい,面白がらないものです.しかし,基本的にはどんなに貿易品目についての絶対優位の国でも,あるいは絶対劣位にある国でも,国際貿易によって,一人あたりの消費量は増やせます.
これ自体はどの教科書にも書いてあるのですが,それでも人びとが保護貿易政策を採りたがるのは,単なる消費量というような問題ではなくて,もっと国家や国民としてのプライドなどを気にするからでしょう.
アメリカは今も当時も農業に比較優位があったため,別に自動車なんて他国に作らせて輸入すれば良いというのは経済学者の意見としては正当です.しかし当時の国民感情は,アメリカの自動車産業は「アメリカのプライドだ」的な発想を持っていたというわけです.
今,マイクロソフトから始まり,グーグル,アップル,アマゾン,フェイスブックと,地球規模で圧倒的な存在感を放つアメリカ企業群の存在には,日本の企業なんてほとんどライバルにもなっていないという点で,実に隔世の感があります.
まあしかし,日本人は世界の人口の100分の1しかいない時代なのですから,その数値からすると日本企業は世界中で十分に存在感があると思うのですが,それでは人は納得できないというのは難しいところです.
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さて自由貿易の利点に戻ると,香港やシンガポールの一人あたり所得は5万ドル以上なので,金融の自由化も含めた自由貿易がいかに重要であるかがよく分かるというものです.東京の平均所得がまだ4万ドルでしかないところからすると,まだまだ改善の余地があるはずです.こうした事実は,このところの政策論議なのでは,ほとんど問題にされることはないのが不思議なのですが,すでに東京は香港やシンガポールよりも生産性がはるかに低く,一人あたり所得も低いのです.
この原因は何なのか? 東京の生産性が香港に追いつくのに,貿易の自由化と規制の撤廃以外のどういった方法があり得るのか?? 所得の平等化を目指す再分配政策についてはさておき,そもそも一人あたりの労働生産性はOECD平均が50ドルで日本は40ドルというのは,なぜか?? ケインズ政策はさておき,こうした生産性の停滞状況そのものが,ほとんど政治的に問題にされていないのは,一体なぜなのでしょうか?
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