kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

雑感

日本に帰ってきた。いくつか再発見があった。



一つ目は自分が、いかに多くのもの(ガラクタ)を持っていたのかということ。家族で家の大掃除をすることになってみると、もう絶対使わないだろう昔のガジェットや接続コード、プレステや加湿器、フロッピードライブなど、どうでもいいものが、どこにでもおいて、とってある。スペースが少ない日本の家で、こういったゴミを後生大事に持っていることなんて、それこそモッタイナイことだ。


しかし、これに関連して、僕がいなかった去年のうちに、近くにできたドン・キホーテに行ってみると、さらにゴミっぽいものが、まあ実に多いこと、多いこと。よくドン・キホーテはよくハイ・カルチャーな人のエッセイなどを読むとバカにされているが、なるほど現代社会というのは庶民文化であり、消費文化であるということがよくわかる店だ。だけれど、ドンキにある商品の値段は、他のスーパーなどよりも10%くらいは安いように感じる。音楽なり、スポーツなり、絵画なり、ソフト開発なり、何か人生のなかで金儲けにつながらないかもしれないが、やりたい事のある人にとっては、安く生きれるというのは、素晴らしいことだと肯定的に解釈しよう。そういった風に解釈しない人は(僕も含めて)つまり「自分にいらないもの」は「人にもいらないもの」だという独善に陥っているのに違いない。


同時にゴミの分別がわかりにくいために、ゴミ出しが大変だ。アメリカではどんなゴミもただ単に遠くまで持っていってダンプするだけなので、場所にもよるが、僕のアパートでは分別の必要はなくて、前日にすべてのゴミを捨てられた。日本ではゴミを出すだけでも1週間もかかってしまった。ゴミの分別には多くの人手がかかるが、それが再利用につながっているのなら意味もあると思う。残念ながら現状では分別は道徳活動、あるいは宗教活動のようになっていて、あまり資源の節約になっていないというのは、環境活動家の満足度はともかく、あまり人にやさしい社会ではないだろう。


いつもいつもここでは書いていることだが、なんで免許証の再発行に4500円もかかるのか?警察が天下り先にしているために、どういった費用が本当のところ必要なのか、まったくわからない。カリフォルニアみたいに、1500円くらい払えば、自動的に家に送られてくるというような制度の方が、人々の便宜にもかない、資源も節約されるように思うが、、、、


と、まあ相変わらず文句が中心の雑感となってしまったが、ポメラなんかのガジェットなんかは、楽しい日本の独自文化だと思うので、ボチボチと今後もやってゆくことにしたい。