kurakenyaのつれづれ日記

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再配達なんてムダの典型

こんにちは。

 

そういえば、昔からフシギに感じていたことは、ヤマト運輸が人手不足でも、「置き配」を標準にしないで、再配達が当然視されていること。アメリカでは置き配が(昔から)普通で、新聞でも郵便でも、宅配ダンボールでも、家のドアの前においてあった。特に問題が起こっているという話も聞いたことがない。

 

この置き配は良いよという話をすると、「誰かが取るんじゃないの?」という人がよくいた。 そんなの心配し過ぎだよ! だいたい人の欲しいものを取ったって、役に立たないし、転売できる程度。そういったレアケースを前提にして、「キチンと」受け取りたいなら、むしろ受け取る人が再配達のエクストラコストを負担すれば良い。 この人手不足に時代に、なんで再配達の制度を当然死してきたのか?? 

 

ところで先月から、アマゾンが置き配を標準にするという通知をうけて、さっそくいろいろと利用した。メッチャ便利!!

 

 

さてさてこのコロナ危機で、置き配に賛成していなかった人も、急に「人に会わない」で受け取りたい、と感じたのか、置き配を急に認めはじめたようだ。

 

そもそもハンコ文化を含めて、日本の「キチンと」というものの多くは、とんでもなく能率が悪いわりには、まったく意味がない。宅配ボックスなんかにまでハンコをつける場所があるのは笑止千万!! こうしたムダが、先進国仲裁低レベルの日本の生産性の低さを支えているのだ。なんで 置き配程度の当たり前のことが これまでできなかったのか??

 

 

フシギ フシギ。