kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

国家が文化振興するという愚

車社会のアメリカで不思議なことの一つは、フランス車の販売店が存在していないこと。だから、プジョールノーの車は見ないことになる。どういう経緯あるのかはわからないが、メルセデスBMW、ポルシェはばか売れしているから、昔のラテンカーの信頼性の低さと、ラテン文化と英米文化が反目していた結果だろうと思っている。


CNETを読んでいたら、驚いたことにグーグルやMSNに課税してフランス文化を守れという、大統領への答申がでているらしい。


http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20406344,00.htm


昔からフランスは中央集権的で、自国文化へのプライドも高く、国策的にフランス文化振興のために大きな支出をしてきている。戦後一貫してフランス語圏の求心力は低下してきているから、英米中心のグーグル的な世界には反対したくもなるのかなとは感じる。


しかし、こういった政策が果たして効果的であることなんてあるのか?そもそも文化を振興しようとしたって、何が正当な文化なのか?こういった問題は結局レント・シーキングに陥って、単なる政治力の偶然によって、無意味に国民全員が貧しくなってしまう。


例えば、日本文化にしても、僕には何が日本の文化なのかはまったくはっきりしない。国立の能楽堂があるから、能や歌舞伎なのか?しかし、僕はそういったことに補助金を入れてもらいたくない。現に僕はプライベートにそういったものにお金を使っていないからだ。どうせならNissan GT-R や Prius などのハイブリッドカーこそが、世界が評価する日本文化だと思う。(もちろん、だからといって補助金を投入しろなどとバカバカしいことをいいたいのではない。)


娘の友達は日本文化が大好きな小学生なのだが、そこでいう日本文化とはポッキーであったり、ハイチュウであったり、あるいは可愛い「消しゴムトイ」であったり、あるいは「ポニョ」であったりしている。それは昔僕がカリフォルニアで日本語を教えていたときに多くのアメリカ人が「日本」だと感じていたものなのだ。明らかに、今は20年前よりももっとアメリカでの日本文化の人気が高まっていて、アニメから食べ物や工業製品まで全体としてjapanese cool という印象になっているのだ。僕は「爆丸」を知らなかったが、ここに来て多くのキャラグッズが少年向けに売られているを見て、初めてそういうアニメの存在を知ったほどだ。



というわけで、フランス国家がフランス文化を促進したいのなら、国策はやめて、むしろ自由に活動させることが良いというのがリバタリアンな結論だ。余談になるけれど、僕はプジョーのデザインが昔から気になっていて、帰国したらぜひとも試乗してみたいとおもっているのだが、そういった無形の文化があるいはルイ太陽王の時代から受け継がれた美意識なのであったとしても、今の文化は多様に過ぎて、フランス国家が効率的に振興できるようなものでは到底ないように感じるのだ。サルコジ大統領はもう一度バスティアの著作を読み直すべきだろう。