数年前に友人とオランダを旅して感じたのだが、国として影響力があるとかいうんじゃなくて、底に住む個人が豊かな感じがすばらしいと感じた。これは美術館を回って感じたことでもあるのだが、それ以上に町並みや食事なんかにそういう事を感じた。
歌舞伎はなるほど結構なものかも知れないが、僕はB'zのTak Matsumotoが弾くギターや上原ひろみのピアノと一緒に長い時間を過ごしてきたから、日本文化と言っても、そういった無形の文化の方を自慢したい。ラリー・カールトンと一緒に、あるいはチック・コリアと一緒にやってグラミー賞なんて楽しいじゃないか。こういった文化こそ、戦後の日本社会の豊かさが産み出したすばらしさなのだろう。
どうして庶民が支持する音楽と、芸大なんかで教えるクラシックギターに税金投入の格差があるのか?? これは大学時代からの僕の疑問であり、リバタリアンとしての原点の一つだ。浮遊者さんも
http://d.hatena.ne.jp/fuyu-sha/20110215/p2#tb
で、歌舞伎の役者に税金を払うのがおかしいのだ、と書いている。僕もまったくそう思う。変にうぬぼれた歌舞伎役者がノホホンとやっていけるのは、そもそも国家による強制的な税金投入、補助金があるからだ。
似た様な話だが、文化財の管理費が多すぎて自治体が困っているという話があるが、これもバカらしい。管理をする費用を出す気になる個人がいないものは、つまり価値がないのだ。それを歴史に関連したものだから公共財であり、すなわち価値があるというのは、単なる価値の押し付けに過ぎない。
そういう勝手な押し付けをやめて、各自が感じる価値があるならオタカラを自身で維持してもらいたい。僕は僕なりの価値観で、自分が素晴らしいと感じるもの、今の政府によって保護されているものとは違うもの、を応援していきたい。そういった並行的、文献的な資源配分こそが、長い時間をかけて民度の高さ、成熟した多様な文化に結実するのだと思う。